2016年5月9日月曜日

甘利の告発は、民主主義を守る第一歩。

(息子からの母の日のプレゼント-5/9)
父の日は忘れても母の日は忘れることがないらしい。例年のごとく、息子が母の日のプレゼントを届けに来た。忙しい仕事の合間を縫ってのことだという。妻はとても喜んでいる。日頃はなんだかんだと息子の文句を言っているのに、やはり、手放しで嬉しいらしい。

嫁さんと一緒に買い求めたとのことで、その嫁さんにも早速お礼の電話を入れていた。こうした気配りのやり取りが、信頼関係を築くことになるのだが、若い夫婦にはそのあたりの呼吸は呑み込めないでいるようだ。それでも、母(親)を忘れていないということなのだから、素直に喜ぶことにしよう。

信頼関係と言えば、国民の信頼を収賄?と言う形で裏切ったあの甘利氏は、睡眠障害だなどと国民をだまして逃げ切ってしまおうという腹積もりらしい。どうも、そうした臭いが検察筋から漂いだしたとのことだ。国会への招請もしない安倍自公の隠ぺい体質は、検察にも及んでいるということらしい。まったく恥ずかしい限りだし愚かであるとしか言いようがない。あの甘利を逃がして国の体裁が保てるとでも思っているのだろうか、恥を知らないにも程がある。民主主義の否定に他ならないではないか。

こうした日本の現状を憂える外国メディアの評価は、悲しいことであるが正しいと言える。言論の抑圧、専制国家への邁進、軍国主義の復活等は、アメリカへの属国化ばかりではなく、戦前への回帰を図るもので決して見逃しできるものではない。安倍の反知性主義とも言える国民だましのアドバルーンに惑わされてはならないし、外遊パフォーマンスに踊らされてはならないのである。

今やらなければならないことの第一は、国家による犯罪者隠しをやめさせ、国民の手で不正を質すという大事をなすことである。甘利氏への審判を国会の手で行うということである。その実現なしには日本の民主主義は守れないと、私は思っている。このことは、民主主義を守るための第一歩であり最低限の責務だと思うべし----である。


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