2014年7月7日月曜日

打倒安倍政権!

( 郷里・会津の里の夜明け -6月- )
右の絵は、郷里・会津の夜明けである。母の亡くなった平成23年6月に撮った写真をもとにして描いた。

絵を描きながら、その母の亡くなる3カ月前に東日本大震災が起こり、老人施設にいた母の安否が分からず心配していた事を思い出していた。

郷里の会津にも、多くの被災者たちが避難してきた。町ぐるみの避難で、その被害の甚大さを思い知らされたものであった。それも、原発の事故による放射能被害からの脱出という悲惨なものであった。

あの震災から3年を経過した今に至るも、まだ多くの人たちが、故郷に帰れないでいる。安倍政権が糊塗しているような復興などは、その実態が程遠いものでしかなく、将来を奪われた事実には何の変りもないのだ。

安倍首相は何かというと、現地を何度も訪れたと言明しているが、原発被害の深刻さを理解しているというのであれば、その被害をもたらした原発の徹底した検証もなしに、ベトナムなどの諸外国に経済界の代弁者として原発売り込みなど出来る筈はない。つまりは、現地訪問は単なるパフォーマンスに過ぎないということである。財界・大企業のための行動でしかなかったということだ。
(のどかな山村風景-教本の模倣画)

自公政権の7月1日の暴挙以来、私は、現政権のすべてが信じられなくなっている。
今、マスコミを賑わせている「拉致被害者をめぐる北朝鮮との交渉再開」も、純粋にもろ手を挙げて喜ぶことができないでいる。先の暴挙をカモフラージュする駆け引きに利用されているのではとさえ思えてしまうのである。シナリオは、すでに出来あがっているのではないかと穿った見方さえしてしまうのである。彼らの暴挙は、そう考えさせる多くの内容を含んでいるのだ。

こうした考え方が、被害者家族に対して不遜な考え方であることは承知しているが、安倍首相の発想には、軍事国家再建を目指すという彼の命題が常に見え隠れし、何でも利用するという匂いがしてならない。私は、被害者家族の為にも、純粋にそうでないことを祈るばかりだ。

今のままに自公政権が続けば、そう遠くない時期に、私たちは再び戦争の惨禍にみまわれることになるだろう。そうならないためにと声をはりあげているのだが、残念ながら、彼らには届きそうにない。財界を潤し、アメリカに歓待されさえすれば、国民の声などは無視してはばからないからである。

その彼らのこれ以上の暴挙を阻止するためには、彼らを政権の座から引きずりおろすほかないのだ。選挙で敗北させる他はないのである。彼らの本質を、国民全体で見抜く他はないのである。

今こそ、安倍政権打倒の国民的大運動が必要だ。



2014年7月2日水曜日

まるで、童話のようだ…。

(水彩画教本からの模倣画)
娘がブログを見たとメールをくれた。父の日を忘れていて申し訳なかったと、あらためて電話をくれ、遅ればせながらと“パステルのスケッチセット”をプレゼントしてくれた。
右の絵は、そのパステルを使って描いたものだ。相変わらず、教本の模倣に過ぎないが、それでも楽しく描くことができた。

大人気もなく僻んだり拗ねたりしていた私だが、娘や孫の顔をみるとやはり頬が緩むのはどうしようもない。我ながら現金なものだと呆れている。

息子からは相変わらずの音沙汰なしであるが、孫の誕生祝(7/3)の呼びかけもないので、父の日の件できまづくなり、電話ができないでいるようである。
私は、妻と話し合って、、孫の誕生プレゼントを誕生前に届くように郵送した。本来なら、届けてあげればよい事(車で15分)なのに、まだ不満が残っているのであえて郵送にした。

(与野公園のバラ園でパチリ)

昨日(7/1)は、この日本の平和精神を根本的に変えてしまった忌まわしい日となった。
政府与党によって、閣議決定だけで憲法解釈ができるとする暴挙がなされたのである。

得々として、記者会見する安倍首相の顔が、イソップのオオカミにだぶって見えたのは、私だけであったろうか。自民党の高村氏は橋の上のキツネに、公明党の山口氏や北川氏はカチカチ山のタヌキに見えてならなかったのだが、余りにも皮肉にすぎるであろうか。

童話は、本質をついた話が多く、たくさんの教訓を示してくれている。子どもに話しつがれるのは、ただ楽しい話であるばかりではなく、そこに心に触れる教訓が示されているからだと私は思っている。だから、何代も何代も語り継がれてきた。

この国が、オオカミに蹂躙され、キツネのために国益を損ない、タヌキによって火のついた薪を背負わされてしまったことが本当に残念でならない。でも、まだ諦めてはいない。そう簡単に諦めてたまるものかである。国民は決して騙されはしないのだ。

2014年6月25日水曜日

またまた妥協ですか?

(公明党の妥協を伝える朝日新聞)
公明党が政権に絡むようになってから、こうした記事を何度読まされたことか。そして、その妥協の都度、日本の政治が右傾化への速度を速め、戦争への道を急速に歩み始めていることに何度も危惧を感じてきた。その危惧がとうとう現実のものとなってしまった。

極論だが、今日の危険な政治情勢を作り出した責任は公明党にあると言っても過言ではない。自民党の暴走を許しているのは、その補完勢力として、妥協に妥協を重ねてきた同党にこそその責任があるのだと思う。

政権にしがみつきたいがためのその妥協の連続が、この国をいかに不安な国とさせてきたか、彼らはおそらく気づいてはいまい。
振り返ってみてもその妥協の歴史は、枚挙にいとまがないのである。

そして、その妥協の言い訳も決まりきった文言で、「わが党の存在が自民党の暴走を阻んでいる。政権に入っているから、児童手当等の福祉政策も実現もできている。だから、政権に入っている事は絶対必要なことだ。それに、池田創価学会名誉会長の国会喚問を阻止できているのも、与党だからこそだ。」と…。
善良な支持者や学会信者は、その言い訳を信じて今日まで来ている。

いつものことながら、彼の党は、重要法案に関しては、最初は必ず抵抗の姿勢を見せている。そして、必ずと言っていいほどの妥協を繰り返してきた。先の言い訳を続けながらである。

今回の集団的自衛権の問題でも、平和の党だからと、反対のパフォーマンスをとっていたが、飯島内閣参与に、「名誉会長喚問」を示唆されると腰砕けになってしまい、記事のような妥協に追い込まれてしまった。とは、私の穿った見方であろうか。

そもそも、彼の党と自民党との政策協議の中に、自衛隊を戦争に駆り出すような集団的自衛権の政治課題が入っていたのだろうか。おそらくは入っていなかったはずである。そのことが政権協議に入っていたのなら、心から平和を希求する支持者や学会信者が納得しないからである。だから、今回も抵抗しているかのようなパフォーマンスが必要だったのだとしか思えない。政策協定にも入っていない重要問題を押し付けられるなど、政党としての資質を疑わざるを得ない。

公明党の妥協の歴史を遡ってみる。

その最初が、選挙制度の改悪に賛成した、小選挙区制の導入であった。この時も、最初は頑強に抵抗した。でも、結局は政治的駆け引きで妥協した。その結果が、今日の大政党(自民党)有利に作用することなど見え見えの事であったのにである。揚句は、政党助成金制度などで税金の流用にまで甘受しているのだから、彼の党の本質やいかんといったところである。

(お地蔵さんだって、憂えている)
思えば、戦争への危険を増大させたのは、それまでの党是を破棄して日米安保容認に転じ、自衛隊のPKO派遣に賛成してからである。その結果、アフガン戦争への後方支援やイラク戦争への協力、PKOを名目とする海外への自衛隊派遣と拡大の一途をたどるに至った。

国民を苦しめている消費税の導入やその税率アップも、一部の条件を付したとして妥協している。安倍内閣の経済政策が、大企業本位に立ったものであることを知らぬはずはないにもかかわらずである。彼の党の補完的役割で、どれだけ国民生活が脅かされいるかなど、支持者や学会信者はどれほど理解できているのだろうか。

原発の再開や海外輸出、武器の製造と輸出の緩和、秘密保護法案可決、と最近の安倍内閣はやりたい放題である。それができるのは、与党であり、友党?でもある公明党の協力が見込めればこそである。彼の党は、完全になめられているのだ。政権にしがみつきたい本音を、自民党に見透かされているからにほかならないのである。

今たくまれている、戦争への参加をもたらす集団的自衛権問題は、憲法の精神を根本から否定しようとするものである。この大事な国民的課題を、憲法の改正もなしに一内閣の解釈で変えようとしているのに、彼の党は報道のごとくまたまた妥協しようとしている。

彼らは、平和の党と自称してきた誇りも矜持もすべて失ってしまったのであろうか。支持者や学会信者への背信行為をまだまだ続けるつもりであるのだろうか。かっての結党精神はどこに行ってしまったのか。

しっかりと目を覚ませ公明党。国民の期待を裏切ってはならない。

2014年6月23日月曜日

侘びしかったから

(郷里の大沼のイメージで模倣)
左の絵は、昨日描いたものだ。図書館から借りてきた水墨画の練習本を模倣したものだが、我ながらよく描けたものと感心している。

私には絵の素養がないのか、スケッチやデッサンといったものが不得意で、絵は好きでもなかなか筆を握るということはなかった。自分には描けないと半分あきらめてもいた。

昨年に絵手紙を描いたことはあったが、おせじにも誉められた筆さばきではなかったので、数か月で筆をおいてしまった。

その私が、今は墨絵というか水彩画というか、日本画風の絵に夢中になっているのだから、不思議だとしか言いようがない。それも、毎日毎日描いているのだからあきれ返ってしまうほどだ。

あくまでも模倣の段階でしかないのだが、その出来栄えに納得して自己満足するのも、悪い気持ちではなく、次のステップへと向上心も湧いてくる。

今、なぜ絵なのかについては、一寸したいきさつがある。
ここにきて、いい年をして私は少々拗ねてしまったのである。それも、父の日に子どもたちから電話一本なかったことに腹を立ててしまったことが原因なのである。私の誕生日は6月16日、今年の場合には父の日の翌日になっていた。だから、この十年来の事から考えても、誕生日と一緒の何がしかが当然あるものと考えていた。
(安倍内閣の暴走に抗議しての一枚)

にもかかわらずである。父の日の当日には、二人の子供からは何の音沙汰もなしで、誕生日の夜に遅くなってごめんと二人から言い訳がましく電話が入ったのみで、ハンカチ一枚ものプレゼントもなかった。別に物が欲しいわけではないが、通り一遍の電話だけで済まそうとするその態度が、大いに不満なのである。現に母の日には、二人の子どもたちから、カーネションのプレゼントが届けられているのだから、私が僻むのも無理はないではないか。

 孫たちも電話口に出たが、誕生日だか父の日だかの区別も分からない話ぶりは、親に言われてのあいさつが見え見えで、嬉しさも半減といった感じだ。こんなことは、初めてのことである。これも僻みに違いはないと思っているのだが…。

ということで、侘びしさ解消のためと、墨絵や水彩画に夢中になってしまったという次第である。でも、けがの功名ではないが、私にはいいキッカケとなったようだ。

で、今は平常心に戻っている。
私のハンドルネームである「リメイク布袋」のごとく、ゆったりとした心もちでいたいものだ。

(自分にどこか似ている布袋)

情勢は緊迫しているので、僻んだり侘びしがったりしている時ではないのに、本当に大人げないことであるとは思うが、侘びしいときには侘びしいのだから、歳には関係がない。

6月10日の9条の会の講演会に夫婦で行ってきた。今の危険な政治情勢を按じる多勢の人が集まって、私達は大いに励まされた。

でも、安倍首相のような厚顔無恥の人が少ないせいか、講演は終始穏やかすぎて、かっての安保闘争のような勢いに欠けるのではと、物足りなさも感じてしまった。

穏やかにしている時ではない筈である。今声を挙げなくては、必ず後悔するのだから、「戦争反対・憲法守れ」の行動を、安保闘争を上回る規模で!が、今必要なことでは?
全国の老人たちよ奮起せよである。


2014年5月12日月曜日

【戦争をする国】にはしたくない!


(娘親子が母の日にプレゼントしてくれ
          た妻へのカーネーション)
連休も終わった5月11日(日)は、母の日であった。この5月11日は、娘の誕生日(42才)でもある。
ということで、娘の提案で2つのお祝いを、一緒にすることにした。この日ぐらいは、私の手料理をと提案したが、あっさりと却下されてしまい、妻と娘とが台所に立った。

ちょっとマンネリ化して儀式めいたものとなってきたが、それでもみんなで祝うことができるということは、幸せなことだと思う。こうしたことの繰り返しが、お互いの絆を確認し合い、深め合えるのだとも思う。

この日は、近くの小学校で上の孫がバレーボールの試合に出ると言うので、その勇姿(?)を見に出かけた。早いもので、その孫は小学6年生になっている。
普段は、そのバレーボールのせいで孫と親しめないと文句を言っていたのだが、いざ孫の勇姿(?)を目にするととにかく頑張れと応援してしまうのだから、私も相当に大甘のジジイではある。

孫の奮闘?もあって、孫たちは4チーム中一位(全勝)で次のステージにすすむことになった。得意げな孫の顔が可愛くてたまらない。かってのように髭面をこすりつけたい思いであったが、嫌われてしまうのでそんなことはできない。孫の成長というのは、何とも歯がゆいものでもあるのだ。
(9条の会の講演会チケット)

申し込んでいた、9条の会の「集団的自衛権と憲法9条」の講演会チケットが届いた。

連休後の安倍内閣の動きは、一気に<戦争のできる国造り>へと突っ走る様相を呈してきている。私たち夫婦のように、まずは憲法の再学習からなどというのでは遅きに失するのかもしれない。今こそ、全国民を挙げての行動が必要になっていると思う。

戦争への道を阻止するための大きなうねりが必要だ。子供や孫たちを戦争にやらないための、とてつもないほどの大きなうねりが必要だ。戦争をたくらむ勢力を押し流すほどの大きく強力なうねりを作り出さなければならない。平和を求める声が、国家という名に包み込まれるのをなんとしても防がなければ、子や孫たちの生死が危うくなる。

朝日新聞の「声」欄にも、憲法改正を是とする意見が多くみられるようになってきた。このようなことはかってなかったことではなかろうか。私たちはいつの間にか、安倍内閣のマインドコントロールに左右されてきているのではなかろうか。危うい、とにかく危うくなってきている。

私は、立ち込めている暗雲を取り払うために行動することを決意した。私のできる限りの行動をとることにした。事業の失敗から萎縮していた心を、奮い立たせることにした。例え一枚のビラ配りからでも具体的に行動することから始めることにした。改憲で炎上するネット上に、平和のための風穴を開ける努力もしたい。9条の会への参加も積極的にすることにした。この緑豊かな日本の国を、【戦争をする国】には絶対にしたくないからだ。可愛い孫たちを戦争に狩り出されたくはないからだ。


2014年5月2日金曜日

今こそ憲法を学び直す時!

(孫と遊んでいる模型飛行機 5/2)

明日5月3日は憲法記念日である。テレビでこの連休について、それぞれ何の祝日であるかのインタビューをしていたが、残念なことに憲法記念日を知っていた人は4割にも満たなかった。ただ休日で有ればよいと考えている国民が多いということらしい。

昨日の朝日新聞に、ナチスの蛮行を容認したり、日本の侵略戦争を正当化したりする若者が増えているという記事が掲載されていた。最近問題となっている、図書館や書店での「アンネの日記」を破る事件も、こうした流れの中でのことだと危惧もしていた。

ツイッターやUチューブでの、中国・韓国を誹謗する投稿の多さには、目を覆うばかりである。その内容も悪意に満ちた、卑劣な言葉を浴びせかけると言った愚劣なものがほとんどで、何の説得力も主張をも持たない稚拙なものでしかないが、お互いに煽りあって興奮している様は恐怖さえ覚えるほどだ。

(ベランダのミニバラ 5/2)
こうした民族主義的ナショナリズムの台頭は、安倍内閣のすすめる極端な右傾化政策の産物でしかないのだが、放置しておいてよいものではない。さも表現の自由から政治に参加しているように偽装してはいるが、その実態は言葉や映像を用いての暴力にほかならず、軍靴を響かせる危険な序章となりかねないからだ。どのような形であれ、暴力主義のはびこりを許してはならない。

その危険な芽を早めに摘み論破するのには、私たち自身がしっかりとした平和主義で身を鎧わなければならないと思う。
だからそのために、私達は、今こそ世界に誇れる日本国憲法を学び直す時であると思う。平和主義の大切さを再度考えあわせる必要があると思うのだ。

私達夫婦は、今、遅ればせながらではあるが、戦争反対・原発反対のための一歩を踏み出すことにした。9条の会主催の講演会に参加することから始めようと申し込んだ。その一歩が小さくとも、平和を求める大きなうねりの一雫として役立てるようにと願ってのことである…。

2014年5月1日木曜日

念願の孫との釣りが!

(今年2回目開花のベランダのミニバラ 5/1)
4月25日に、婿殿に誘われて下の孫と一緒に千葉県市原市の海釣り公園に行ってきた。
釣果は今一であったが、数年ぶりの海釣りを大いに楽しむことができた。やはり、海はいい。川釣りでは味わえない醍醐味があるからだ。

この日、国賓として来日していたオバマ大統領が帰国するとの事で、大幅な交通規制が敷かれたため、釣りの目的地も変えざるを得なかった。当初は、横浜の本牧で海釣りをする予定だったのだが、止むを得ず市原を目的地とした。

5才の孫連れでの釣行であるから、何よりも安全が第一だったので、釣果は二の次であった。なによりも、孫を釣り好きにさせるための釣行であったのだ。

(市原市の海釣り施設 4/25)
とは言え、やはり釣果は欲しかった。残念なことにハゼ1匹という結果で、孫を楽しませるには至らなかった。「どうして、僕たちだけ釣れないの?」との孫の声は、私にも婿殿にも辛いものであった。

その声に奮起したのか、婿殿は、4月の29日には横浜に出かけ、目刺し級のイワシを16匹釣りあげて汚名を晴らしている。当然に下の孫も同行して釣果を上げたとのことであった。よかったよかったである。これで孫も釣り好きになることは間違いなしである。ジジイの念願は漸くにして達成できそうなアンバイだ。めでたしめでたし…。

2014年4月30日水曜日

まっ、いいか…。

(板橋区の花“にりんそう”の自生群落 4/12)
桜も散って、春は新鮮な息吹の中で花の盛りを迎えている。
写真は、都市部では珍しい”にりんそう”の群落自生地である。ここは、地元の愛好家たちのたゆまぬ努力によって守られてきた。この自生地には、その愛らしい姿を楽しもうと訪れる人も多く、今では一寸した名所ともなっている。
私は毎年この群落地を訪れ、可憐な花との対話の中で春の訪れを実感してきた。今年も当然のごとく対話を楽しんできた。

この時期、我が家のベランダは色とりどりの花々によって装飾される。
毎年のように咲き誇る真紅のシクラメンは、今年もあでやかさを増して目を楽しませてくれた。息子からもらったミニバラも今年に入って2回目の開花を迎えようとしている。それも、一度に6輪もというのだから、その黄色の蕾には期待を膨らませているところである。

(今年も見事に咲きました 4/25)
今年は、例年よりも出歩く機会が多くなっている。
先に命のはかなさについて投稿したように、意識的に今ある自分たちの生活を楽しんでおきたいとの思いからである。

この4月には、長崎への旅行もしたし、孫たちを連れて武蔵丘陵自然公園(国立)にも行ってきた。
新緑の中で、精いっぱい走る周る孫たちと遊べることは、ジジイ冥利に尽きると言ったところでもある。
婿殿の誘いに応じて、下の孫と一緒に海釣りも楽しんできた。成果は今一であったが、何年ぶりかの海釣りは爽快そのものであった。そして、なによりも、孫が釣りに同行できるまでに成長したことがうれしかった。孫との釣行が念願であっただけに、その嬉しさはひとしおである。
足利のフラワーパークに、藤の花も見に行ってきた。ライトアップされた藤の花は、幻想的でさえあった。時期的には少し早めであったが、藤以外にもつつじやシャクナゲが咲き誇っていて、満足のできる花見行であった。

(ライトアップされたおおふじ 4/28)
別に人生を急ぎ終えようとしているわけではないが、この4月は何となく慌ただしく過ごしてしまった。
仕事の事、健康の事、今後の生活の事、孫たちの将来の事、戦争に至りそうな危うい政治情勢の事等々、考えなければならないことや行動すべきことがたくさんあったはずなのに、この4月はミツバチのように花を求めて歩き周ってしまったのだ。出歩きすぎかな?

まっ、いいか…。

2014年4月10日木曜日

慌ただしい旅だった。

(ハウステンボスの一景 4/6)
結婚して42年にもなるのに、夫婦そろっての旅行などは初めてのことである。
いろいろな出来事が多すぎて、旅行どころではなかったのだが、60も半ばを過ぎたところでようやくといったところだ。

といって、この安らぎが私の手によってもたらされたものではないのが残念ではある。そのすべてが、妻のコツコツとした努力の賜物であるので、私としてはただただ頭を下げるのみである。
本当にありがとう……としか言いようがない。

(吉野ヶ里の復元住居群 4/7)
今回の旅行には。妻の姉も同行している。ここのところはよく一緒に行動しているので、何の違和感もなく一緒に楽しんできた。義姉は、10年ほど前に夫に先立たれているので私たち夫婦との外出を喜んでくれている。歳を重ねると相みたがいという感情が湧くようで、いつまでも仲良く過ごしたいものだと思っている。

今度の旅行は、2泊三日という限られた中で、あれもこれもと欲張った慌ただしい日程となってしまった。旅行社のフリープランツアーということだったので、行動範囲を広げるためにレンタカーを使用しての計画を立てた。加えて、妻の要望があれこれと出されるに及んでは、お世話になる身?の私としてはその実現を目指すべく、強行軍もやむなしの計画とせざるを得なかったのである。

(グラバー亭公園からの展望 4/7)
*4/6 PM12:30羽田発→4/8 PM12:35羽田着
(長崎の平和公園記念像 4/7)

(雲仙温泉地獄谷 4/8)
異国情緒たっぷりの町並みは、半日ではとても散策しきれない広さであった。
旅行の目的でもあり期待したイルミネーション・特に3Dを駆使した企画には圧倒され大いに楽しむことができた。一度は倒産の憂き身を味わったハウステンボスだけに、その企業努力の必死さが伝わってきて感動をすら覚えた。事業の失敗から立ち直れないままになっている私にとっては、その立ち直りが大きな励ましともなってくれた。努力なくして再生なしという現実を見せつけられた思いである。

邪馬台国を連想させる「吉野ヶ里の歴史公園」は、その遺跡の広大さからも、古代の村(クニ)を偲ぶのには十分なもので、この旅行中最も満足のできたところであった。建物などの復元が過ぎるきらいもあったが、弥生社会が想像できる遺跡としては申し分がなく、散策時間の足らなさが恨めしい限りであった。

グラバー亭公園は、かって明治維新において賊軍とされた「会津」出身の私にとっては、複雑な心境での見学となってしまった。偏狭的な考えではあるのだが、どうしても【死の商人】としてのイメージが強すぎて、近代日本への貢献という側面では見学できなかった。反省しなければならないとは思っているのだが…。

平和記念公園には訪れる人が少ないのか、人影がまばらであった。私達は、この惨劇をもたらした戦争を再び起こしてはならないとの願いを込めて、祈りをささげた。忘れ去ってはならない記憶なのである。原爆資料館には、多くの外国人も訪れていて、平和の希求がグローバルなものであることを実感した。
世界の三大夜景になったとかで浮かれることなく、平和都市長崎としての発展を願ってやまないところである。

雲仙温泉は、奈良時代の701年に【行基】によって開湯されたものだと、ホテルの若旦那?に教えてもらった。早朝にヘルシー散策だとして周辺を案内してもらった中で教えてもらったのだが、さびれゆく観光地の再発展を模索してのこうした努力が、大きな成果につながることを心から期待している。若旦那ガンバレである。

もっともっと、あちこちと周りたかったが、私達の慌ただしい旅は、とにかく無事に終わった。機会があれば、次回はもっとゆったりとした旅にしたいものである。

2014年4月4日金曜日

桜並木を散歩して

(埼玉県戸田市 荒川土手沿いの桜 4/2)

(同上を土手の上から撮影 4/2)
3月30日の雨の中、義兄嫁の納骨式が行われた。
本当に早いものだ。2月15日の大雪の日に倒れ、雨の日にお墓に入るなど、本当に悲しむべき出来事でしかなかった。それでも、認めざるを得ない現実なのだから、諦めるほかはない。

お墓のある埼玉県武州長瀬は、東京よりは開花がやや遅く、桜はチラホラとしか咲いていなかった。花の好きな人だったので、満開の桜吹雪の中での葬送が似合いだったろうにと、考えたりもした。

写真は、納骨式から3日後の花模様である。
埼玉県戸田市のボートレース場前荒川土手の桜並木だ。水曜日ということもあって、混雑はなかったが、丁度満開の見ごろで、そのあでやかさには圧倒される思いであった。

この桜並木の変貌ぶりには驚かされている。この並木も、私が仕事をバリバリとやっていた30数年前には、若木の並木であまりパッとしたものではなかったが、今は丁度壮年期と言ったところでみごとというほかはない。
たそがれ時に入っている私には、この圧倒的な力強さは眩しいぐらいである。いや羨ましいと言った方が良いのかもしれないな。木々の生命力には感動をすら覚えてもいる。

だから、この生命力を吸収して、65歳で亡くなった義兄嫁の分まで生き抜かねばとも思う。少なくとも、私も妻も、この素晴らしい桜並木の下を、仲良く元気に散歩できているのだから、頑張って行かねば申し訳ないではないか。

(たくましく、幹に直接花を咲かせていた 4/2)

2014年3月27日木曜日

健康長寿を目指すぞ!

( 今年は咲かないかと諦めていたのに
  見事に咲いてくれたハナカイドウ 3/25)
妻と一緒に、鳥越俊太郎氏の講演を聞いてきた。講演内容は、ガンと闘っている鳥越氏らしく「ポジティブに生きる」が主題であった。

私と妻の間には暗黙の了解がある。
それは、私たちの一方がガンに侵されて終末を迎えた場合の対応についてである。

妻の希望は、一切の告知をしないで欲しいというものである。自分の死を感じないままにこの世を去りたいというのがその理由である。あと何か月、あと何日とその日を数えることは嫌だということであった。

私の希望はというと、告知して欲しいということである。限りある命を、最後まで有効に使いたいと思っているからだ。その告知後の残された期間に、何かしらできることがあると考えられるからである。

このように違いのある二人ではあるが、終末に関しては共通した願いがある。医者の判断で回復の見通しが立たなくなった場合には、延命治療はしないで欲しいということだ。植物状態となって無駄に延命しても、私たちにはその延命措置になんの価値も感じることができないと思われるからだ。抗ガン治療を否定するわけではないが、私達はぜひにもそうしてもらいたいと願っている。

その際は、どのような措置であっても構わないので、苦痛を伴わないものにしてもらいたいものだ。苦痛に耐えられるのは、治癒できるという希望が持てるときであって、何の希望も持てないままの苦痛などはごめんである。モルヒネでもなんでも有効な鎮痛剤で、痛みを緩和してほしいと願う。と今は思っているのだが、いざというときにはどうなるのか…。

鳥越氏の話は、転移を繰り返す悪質なガンとの闘いの体験談であった。そして、その体験からは教訓として「早期発見に努め、健康長寿を目指す」ことの大切さを学びとった。74歳という年齢を感じさせない氏の若々しさは、闘病中であることも感じさせない力強さで、まさに「健康長寿」の体現者であることを知らしめるものであった。66歳の私としては、大いに学ばなければならないところである。あっちが痛いこっちが痛いなどと騒いでいてはいけないのだ。


2014年3月12日水曜日

心をこめた復興を!

先日、花芽を小鳥に食い散らされたこと、そしてゴミ袋のネットで残った花芽を守っていることを、命のはかなさとの関連で投稿した。その守りきった花芽が成長して、今では写真のように以前も増して咲き誇っているので、妻と一緒に喜んでいるところだ。

今日、平成24年3月11日は、あの東日本大震災から3年が経過した日である。2~3日前から、あの時の生々しい被災映像を繰り返し流しながら、この3年間の歩みについてを、特別番組として各局が報道している。そのいづれもが、真剣に真面目に取り上げていることを感じることができて、ホッとした思いだ。今日も又、終日、内容の濃い報道がなされており、日頃はマスコミに批判的な私も、マスコミの良心に触れた思いで素直に喜んでいる。

(復活して咲き誇るアンジェリカ)
その一方で、先日の国会中継(予算委員会)や、民放での被災地復興を巡っての復興対策委員長と現地関係者との討論番組をみていて、情けない思いにとらわれてしまったことも、正直なところである。

質問者が、福島の現状が決して好転していないことを、資料をもって説明しているにもかかわらず、又、政府の原子力安全に関しての諮問委員会(原子力規制委員会)の委員長が、「安全宣言できる立場にない」として安全宣言をしようとしないでいるのに、「世界一厳しい審査基準で臨んでいる」などと詭弁を弄していた安倍総理や担当大臣は、相変わらず、原発再稼働まっしぐらという対応に凝り固まっていた。もはや正常であるとは言い難い痼疾ぶりだ。国民でなく誰の代弁をしようとしているのか、と、疑わざるを得ない在り様である。

「アンケートによる被災者の要望をとりあげたので、復興対応策には問題はないと考える」とか、「何度も足を運んでいるので、現地の要望は理解しているつもり」などと答える民放での政府関係者達からは、形式を整えようとする姿や、体裁やメンツを保とうとする姿が見え見えで、恥ずかしくさえ感じられた。「現地の要望と違った対応をしている」「もっと、現地を理解してほしい」といった地元からの切実な訴えとの甚だしい乖離を感じたのは、私だけでけではなかった筈と思う。

今日の政府主催の「被災者慰霊祭」でも、天皇の被災者を思いやる誠意ある姿勢に比して、安倍総理の原発問題に触れまいとする逃げの姿勢には、情けなさを通り越してあきれかえる思いでたまらなかった。私にはあの姿勢からは、かっての中身のなかった“美しい国日本”のスローガンと、同様のことが連想できるのだが、いかがなものであろうか。復興は進んでいる、原発事故の対応は改善されているなどと、一国の総理たるものが白々しく言明するなど、あってはならないことだと私は思っている。今、何が一番大事なのかを真面目に考えろ!である。

支持率に支えられていると言われる安倍内閣ではあるが、「驕る平家は久しからずや」ということを忘れないでほしい。いつまでも国民を欺けるとは思わないことだ……。





2014年3月6日木曜日

だんだん孫たちが遠くなる、遠くなる?

一番上の孫娘が、11回目の誕生日を迎えた。4月からは、はやくも小学6年生である。
最近では、バレーボールに熱中していて、かってのように一緒に楽しむことがなくなってしまい、満たされないことが多く不満たらたらのジジイなのである。
(妻の拾ってきた桜の枝に花が咲いた。3/6)

誕生祝は靴がいいとの事だったので、ショッピングモールで待ち合わせをして、孫娘に選ばせた。やはり女の子なのか、洋服にも目が行くようで、娘(孫娘の母)に足し前させて、気に入った洋服もプレゼントすることにした。娘は喜んでいたが、肝心の孫娘は今一と言ったところのようで、妻と二人で拍子抜けした思いであった。

拾ってきた桜の枝なら、水を換えたり栄養剤(砂糖)を加えたりと、手を加えることで早めの開花を促すことはできても、孫娘までもは思うに任せないもののようだ。それが成長するということなのであろうか。

「だんだんお家が遠くなる、遠くなる。」と言った歌?が思い出される。「だんだん孫たちが遠くなる、遠くなる。」と言った心境になってしまい、何となく侘びしさを感じてしまう。
ジジイの僻みと言ったところか。孫たちの成長が、嬉しいような悲しいような、何とも複雑な今日この頃であるのだ。




2014年3月5日水曜日

あまりにもはかなくて……。

(ベランダで咲き誇るアンジェリカ)
写真の花は、もう1カ月以上もベランダで咲き誇っていた。……と、残念ながら、過去形の話として伝えざるを得なくなってしまった。
この綺麗に咲いていた花が、あろうことか小鳥に食い散らされてしまったのだ。小鳥たちが、食用としたのか、興味本位でいたずらしたのかは分からないが、とにかく見事に食い散らかされてしまった。
今は、応急措置として、生ゴミ用のネットを使って残された花芽を守っている。嬉しいことに、残された花芽からは、たくさんの花が開き始めているので、元のようになるのも近いようだ。又、きれいな花々を楽しめそうではある。

花々は、守ったり手入れしたりすることで再生させることができるが、悲しいことに人の命は絶対に再生させることができない。

私達に不幸がもたらされたのは、つい先日の大雪の日であった。私の妻の兄嫁が急逝してしまったのだ。義兄夫婦は、私たちの住まいとは 300~400m程しか離れいないところに住んでいる。まさにご近所のお付き合いといったところであった。

その日、義兄嫁は、大雪だということで、同じマンションの人と雪かきをしていたらしいが、その最中に突然倒れてしまったということであった。あわてて救急車を呼んでも、大雪ですぐには来てもらえず、警察から連絡してもらって漸く病院に搬送してもらったそうだ。この間2時間を要した言うことである。あの大雪では、誰も責めることはできないが……。

私達のところに連絡が入ったのは病院の義兄からで、手の施しようがない状態で手術もできないとの知らせであった。突然のことにその意味合いが分からないまま、雪道の中をノーマルタイヤで病院に向かった。本当に、この大雪は恨めしくも呪わしいものでしかなかった。
(なんとも恨めしい大雪であった。2/15)

彼女が病院に運ばれた時には、すでに心肺停止の状態だったそうだ。MRIで調べた結果は、蜘蛛膜下出血で脳内に出血が広がっていて手の施しようがなく、ただただ心臓の止まるのを待つしかない状況らしかった。

午後の1時過ぎに病院に運ばれて、深夜の1時一寸過ぎには、彼女は還らぬ人となってしまっていた。あまりにもあっけない、はかない終焉であった。現実とは思えぬままに、葬儀が執り行われて、彼女は、笑顔の写真を残してこの世を去ってしまった。数日の間は、私たちは、彼女の面影が思い起こされて、信じられないままに日を送っていた。これは本当の事なのだろうかという思いで……。

今、私たち夫婦は、65才で逝った彼女を偲びながら、余生をお互いに楽しもうと話し合っているところだ。いつ訪れるか分からない不幸を待つより、生きている今を大事にしたいからである。ちなみに私達は、私が66才で妻は64才の人生まだまだといった夫婦なのである。

2014年3月2日日曜日

孫を預かるのは大ごとだ!

 一番下の孫がインフルエンザにかかったので、4日ほど私のところで預かった。
預かった初日の深夜に、39度6分以上の高熱を出して、はあはあ言い出したのでビックリして熱さましにかかった。ぐったりした孫を見て、正直、預かるのではなかったと後悔したものである。自分の子でないだけに、その対応に苦慮せざるを得なかったからだ。

 と言うのは、熱さましの方法に、孫の親である私の娘との間には考え方に、大きなくい違いあったからである。大げさかもしれないが、私は熱に関しては神経質なくらいに気を配っている。過去(私のタクシー乗務員時代)に、肝を冷やした経験があるからだ。

 深夜に千住近くで乗せた親子連れ(20代の夫婦と3歳ぐらいの女の子)があった。
子供が熱を出したので、病院までと言うことであった。話の中で、熱は39度8分ぐらいまで上がったが子どもが元気だったので、救急車を呼ばなかったとの事であった。話の通り、車内でも子供は元気にしていた。運転手の私とも「お熱が出ちゃったの」「病院に行ってお薬貰ってくるの」などとおしゃべりしていてとても元気であった。

 病院を目指してしばらく走っていたら、急に後部座席でバタバタと言う音がして、母親と父親の悲鳴のような叫び声が起こった。「○○○が、死んじゃう!白目をむいてしまって、体が突っ張ってしまったままになったよ!」「○○○どうしたの!返事して!○○○!○○○!」

 若い両親のあわてように、私までもが冷静さを失い、「どうしました!娘さんがどうかしたのですか」と、あわててしまっていた。私は、もしや癲癇ではないかと思いながら、「舌をかまないように,注意して!」と言うのが精いっぱいの事であった。

 それからの病院までの走行は、まるで宙を走っているような思いで運転した。泣き叫ぶ両親の「とにかく急いで!信号もなにかも無視してとにかく急いで!○○○が死んじゃうよー!」との必死の切なさが伝わってきて、とにかく病院へ病院へと急いだ。

孫の誕生祝のケーキ
料金どころの騒ぎではなかった。到着するとすぐにタンカに乗せられて救急室に入って行った子供が心配で、胸がつぶれるようであった。15分ほどして、看護師が私のところにきて、「ひきつけだったようですよ」と告げてくれた。そして、両親から託されたとタクシー料金も預かってきていた。そこで私は漸くホッとした思いになることができた。無事だったのだと……。

 私もそうであるが、あの若い両親にとっても、子供のひきつけは初めてのことであったようで、あの突然の事態には、何の対応もできなかったのである。看護師の話によると、高熱からのひきつけはよくあるとのことで、あまりの高熱の場合には、とにかく下げることを心掛けること、下がらない場合には遠慮しないで救急車を呼ぶようにとの事であった。

 高熱は怖いという私の先入観は、こうした経験から来ているのだが、保育士をしている娘にとっては薬による対応の方が心配なのだと言う。そう言われても、熱にうなされている孫を見ていると、あの夜のことが思い出されてしまい、買い置きの小児用坐薬やピタット等の熱さまし湿布薬を使ってしまう。今度の場合も、額と両脇にピタットを貼りつけて、冷たいタオルを換えながら熱さましに神経を使った。その効果か、翌朝には平熱近くまで下がって、孫は元気になって食欲も出てきた。

 元気な孫を見ながら、私は妻とぼやいていた。「娘の仕事を助けるためとはいえ、今度のような場合は預かるのは考えもんだね。私たちには責任が取れないんだから、考えなくちゃね。」と………。

2014年1月19日日曜日

トイレットペーパーの芯から、モアイ型人形を!

(陰陽師、楽人、旅人、素浪人のモアイ型人形)
(梅沢富雄、河童、妖怪ガラス、トランプマン等を追加)
我ながら子供じみたものを作ったものだと思う。何の考えもなしに、ただ思いのままにトイレットペーパーの芯を切り刻んでいくうちに、それなりの形になってしまうのだから、このモアイ型(勝手にそう呼んでいる)人形作りはとても楽しいものだ。

ゴミとしか扱われないトイレットペーパーの芯を、いろいろなものに変身させることができるとは思ってもみなかっただけに、思い付きのままに作業することでそれなりのものが出来上がっていく過程は、本当にわくわく感をさえ覚えてしまうほどである。これが、子供がえりというものなのだろうか。不器用で、創作能力もない私であるはずなのに、66才を超えた今、こうした楽しみを見つけられるとは、幸せなのだと思うべきかもしれない。

孫たちには、気持ち悪いと不評なのだが、私自身はなかなかのものではないかと自画自賛しているところだ。妻の友人が、面白い作品だとして写真を撮って褒めてくれたが、お世辞とはわかっていても嬉しいものである。

調子に乗った私は、絵手紙にも挑戦しているが、TV番組の「ちい散歩」みたいな旅紀行画が描けるはずもなく、いささか自信喪失といったところである。やはり、基本的なデッサン力に欠けているせいか思うようには描けず、なかなか筆が進まない状態だ。でも、描き続けていれば、いつかは満足のできるものが描けるかもしれないと思って今も続けている。

いつの日か、このブログに、絵手紙コーナーを開けるようにと念じてもいる。66才、まだまだ気力満々のじじいでいたいと思う。まだまだ、先は長いのであるから……。

2014年1月16日木曜日

やっぱり驕って右傾化へ

(元旦の七福神-東京大仏にて)
平成26年は、寒いながらも穏やかな日差しの下で幕を開けた。

私たち夫婦は、例年通り東京大仏で初詣を済ませた。昼時ということもあってか、人ごみはさほどでもなかった。
今年は、妻がひざを痛めて久しいので、神頼みとばかりに、境内の七福神にも詣でたが、果たして霊験あらたかとなるかどうか。とにかく、少しでも痛みが薄らぐことを願うばかりである。にわか信心で虫のよいことではあるが、願わずにはいられない昨今であったのだ。

この投稿まで、半年近くの間が開いてしまった。先の投稿もやはり、数か月の間をあけてしまったが、別に投稿が億劫になったというわけではない。むしろ、投稿して、自分なりにメッセージを発信しなくてはと焦っていたというのが正直なところであるのだ。

この間の私は、66才の全力?を、小中学時代の同級会(同期会)開催のために注いでいたのである。昨年(鬼怒川開催)は、単なる参加者であったが、今回は幹事として初めての連年開催という課題に挑戦していたのだ。もちろん、幹事は一人だけではなかったが、部落(地区)の出身者7名とともに、あれこれと知恵を絞り合っての準備活動は、久しぶりにやりがいを感じさせるものであった。中学卒業以来50年余を経た交流は、心浮き立つものでさえあった。

仲間との努力の甲斐もあって、同級生の半数近くが1泊2日のマイクロバス旅行に参加して、修学旅行気分を味わうことができ、同級会は大成功であった。記念のDVDを作ったりして、同級生50数名とのコンタクトもとれ、私自身にとってはとても有意義な期間であったと思っている。

しかし、こうした私の個人的な喜びを暗澹とさせる事態が、いやおうもなく眼前に迫ってきたことで、その私の喜びも半減させられてしまった。
私は、このブログを通じて、日本の右傾化についての不安を繰り返し訴えてきた。そして、その不安に対しての自分なりの対応ができていないことにも悩んできた。

こんな私を置き去りにして、アベノミクスなる経済政策?を隠れみのとした強引な右傾化誘導は、私の予想をはるかにしのぐ勢いで実行されつつある。秘密保護法しかり、安全保障問題しかり、原発再開問題しかり、中韓外交の悪化を招く靖国参拝しかりと、もはや歯止めは効かないのではとの疑念をさえ覚えてしまうほどだ。

あまつさえ、都知事の不祥事からの政治動向を、小泉やら細川やらの曖昧勢力に利用されかねない事態も発生している。彼らは、一面、独走する自民への警鐘をならすかのような装いも見せているが、私には、 安倍内閣・自民党の軍国化への逆戻りを、反原発の名目をもってベールをかぶせてしまう補完勢力としてしか映らない。アジテーターのアジテーターとしての本質が見えるように思われてならないのだが、いかがなものであろうか?

ご用心ご用心である……。
警鐘を連打させなければならない事態なのだから……。

2013年7月8日月曜日

初めての収穫!

(花が咲いたので期待も大)
(期待通り立派に結実)
(我が家での初めての収穫)
前回の投稿から、いろいろなことがありすぎてどう投稿すれば良いのかと、考え込んでしまった。グローバルなできごとや、ほんの身の回りのできごとでもその変化は激しく目まぐるしいもので、そのできごとの理解に追いつかず、自分の処すべき対応も見いだせないまま今日に至ってしまった。

 別に大げさに考えているつもりはないが、シリア・トルコ・エジプトの問題などは、その根底にあるものが理解できないので、宗教・民主主義・経済問題などを説かれても一向に理解できないままにその推移を見守っているだけだ。

 国内問題では、相も変わらずに理解しがたいことが続いている。先の東京都議選の結果は、危うんでいた通りの結果となり、腹立たしい限りでしかない。命よりも株(景気)の動向が大切だとの判断をしたということなのか。それでも、一部とは言え、反原発や憲法改悪反対・戦争反対を唱える政党が議席を倍増させたことは、酷暑の中で清涼飲料水を味わうがごとくの清々しさを感じさせてくれた。

 現在参議院選挙中であるので政党名は伏せるが、その政党の存在意義すら定かでないもろもろが多すぎる。それらの政党は、暗雲に更に曇りガラスをかざすような役割をはたしており、毒素を全世界に売り歩こうとしている輩を陰に陽に支えている。始末の悪いことには、その自ら果たしている役割に気付いてはいないのだ。そのことが、日本の右傾化を確実に促進させていることに一日も早く気付き、今何が大切なのかを改めて考えなおしてほしいものである。この参議院選挙も、都議選と同様の結果が予想されており、私にとっては憂鬱でしかないが、微力を尽くして、命を本当に大切にする勢力の躍進に貢献したいと考えている。

 写真は、我が家のベランダで初収穫をした茄子を撮ったものである。さほどの手入れはしていないが、毎日の水やりと野菜の病気や害虫駆除には気を配ったせいか、見事(?)に収穫ができた。次々と花も咲かせているので、この夏は自家栽培茄子を堪能できそうだ。この茄子のように、命を大切に、丁寧に育てれば必ず実は結ぶのである……。

2013年5月31日金曜日

ラップの芯で楽しもう!

(ラップの芯などで作ったオモチャ)
右の写真は、ラップやトイレットペーパーの芯で作ったオモチャである。適当に切り刻んだり、組み合わせたりしながら形作っていくのはそれなりに楽しいものであった。サイズも何もあったものではない。ただ、適当に作業を進めていく中で出来上がったシロモノ(?)ではあるが、出来上がってみるとそれなりに愛着がわいてくる。目ざとくこれらを見つけた4歳の孫が欲しい欲しいと騒いだが、すぐに壊されるのは分かり切ったことなのでとうとうあげずじまいにしてしまった。

(セスナ機?)
私はとても不器用な方なので、妻はその完成を危ぶんでいたのだが、出来上がった作品(?)をみて、意外であるといった表情を見せていた。今では、新しい芯が出るとすぐに私に手渡すようになっている。夢中になって作っている私を見つめながら、多分、「子供がえりでも始まったか?」と思っているのかもしれないな。とにかく、楽しんでいる最中である。

 いらなくなったボタンや孫のオモチャのタイヤも部品として大活躍している。プロペラは、ラップの芯で作ってゴム動力で回るようにしてある。苦労したのは、そのプロペラを固定させることであった。小さなボタンを利用して針金で回るようにしてみたが、残念ながら、今の私の力量では自走したり飛行させるまでにはできそうもない。ただ、子供みたいにプロペラの回ることを楽しんでいるだけなのだ。

(チキチキ大レース?の車)
下の写真は、パソコン用インクの入っていた小箱とトイレットペーパーの芯を使って作ったチキチキ大レースに出てくるような車である。組み合わせによっては、意外に面白い発想も湧いてくるようだ。この車はまだ孫には見つけられていないので、見つかったらまた欲しいよと騒がれそうだが、今度は「大事に優しく扱って」と注文をつけてあげようかと思っている。やはり、孫の喜ぶ顔はなにものにも代えがたいものだからね。でも、本音はチョッピリ惜しい気もする…。

2013年5月14日火曜日

一喝される!

(妻が頂いたシクラメン。毎年咲いて楽しませてくれる。)


電話が鳴った。妻が取り上げてO先生からだと言う。O先生は80才間近の税理士である。何だかんだと先生との付き合いは長く、私の上京後すぐからのお付き合いである。だから、年数だけであれば四十数年もお付き合いしていることになる。

O先生は、東大出なのに、労働運動(特に未組織労働者の組織化)に命を懸けて取り組んでいて、自身の栄達などまるで顧みない熱血青年闘士であった。上京したてで、小企業勤務の苦汁を飲まされていた私にとっては、先生は頼りがいのある憧れの存在でもあったのである。先生とは、直接の親交というよりは、地域支部という組合関係を通じての触れ合いであったが、その折々の触れ合いの中での印象は常に強烈に心に残るものであった。まさに、私にとっての英雄そのものであった。

ある時、私たち三名(友人2名を含む)は、売上税(今日の消費税)創設反対のポスターを電柱に貼っていた。当時は、今と違って、政治的主張はポスター掲示によることが多く、労働運動や政治運動をする者にとっては、電柱は警察に捕まる危険はあっても格好の主張の場でもあったのである(現在は電柱でのポスター貼りはほとんどなくなっているが…)。その時は不運(?)なことに、ポスター貼りを通報され、パトカーに追い回されて私以外の2名が捕まってしまった。あわてた私は、知人に連絡を取って、即時釈放を求めて集団で警察署に押しかけた。20名以上であったか、深夜にもかかわらず集まってくれた仲間の中にO先生もいて、釈放交渉の中心となって折衝してくれたのである。その対応の見事さや毅然とした態度には、若かった当時の私の魂を揺さぶるのにやぶさかではなかった。とにかく、O先生は私の憧れの人であったのである。

時を経て、労働運動も勢いをなくし今日のようになってしまったが、先生は税理士の資格を取得してその業務をしながら、労働運動への関与を現在も続けている。私は、税務関係の相談等で交流を続けてきているが、未組織労働者の救済の話になると、四十数年前の情熱そのままに熱弁をふるうO先生の姿には、ただただ頭が下がるばかりでなのだ。

(力強く大地から顔を出す筍)
その先生に、一喝されてしまった。
近況いかがと心配して電話をくださったのであるが、健康を理由とした最近の私のていたらくぶりが情けなかったらしく、この状況をなんと考えているかと一喝されてしまったのである。久しぶりの叱責に、身の震える思いがしたが、仰られる通りなので、電話口で身をすくめるほかはなかった。

私にもできる貢献の場があるはずだからと、かっての熱情そのままに話す先生は、あの当時の若々しさを今にとどめていた。本当に頭の下がる思いであった。近日中に訪れることを約して電話は終わったが、私は、久々に身の引き締まる思いにとらわれている。そうなのだ、先生の言われる通り、健康を理由に怠惰な生活を繰り返していてはいけないのだ…。情勢は緊迫していることを忘れてはいけない。奮起せよである………。