2016年4月20日水曜日

ここまで卑屈になれるか。

(震源は一か所にとどまらない-4/18)
(安倍自公は許さないと大喝!大阪維新にも大々喝!)
達磨さんには何度も登場願って、その都度安倍自公を叱ってもらっているのだが、カエルの顔にションベンの例え通り、一向に反省の様子は見られない。とにかく面の皮が厚いとしか言いようがない。厚顔無恥とはよく言ったものである。

その安倍に輪をかけたかのような愚かな議員がいる。いや議員たちがいると言ったほうが正確だ。もはや、議員としてバッチをつけていること自体が国民を愚弄しているといってもいい。見たり聞いたりしているこちらのほうが恥ずかしくなってしまうぐらいのお粗末ぶりだ。

私は、とりたてて大阪維新を攻撃するつもりなどないのだが、何故か、彼らには、いつも厳しく批判せざるを得ない心境にさせられてしまう。いや、批判などといったレベルの話ではなく、嫌悪感をさえ持たされてしまう。

先に本ブログでもとりあげた足立某だけでなく、下地某、片山の虎さんまでもが狂ってきたようだ。下地に至っては、沖縄県民がどのような思いでオスプレイを見ているかを十分に承知しているにもかかわらず、軍用も疑われるその性能があたかも震災の救助にも役立つかのように喧伝するなど、許しがたいことだ。沖縄県民に対する裏切りでしかない。

かの下地某は、オスプレイが、救助と称して現地に迷惑(風や噴射熱で)をかけたり、積み荷を少し増やせば滑走路が必要になるなどを知っているのだろうか。おそらく承知の上で、政権にすり寄るためにオイショしているのだろう。自衛隊の能力も本当に理解しているのだろうか。救援物資輸送をアメリカのオスプレイに頼まざるを得ない理由など何処にも存在しないはずだ。災害をこのように利用するなど、絶対に許されることではない。

TTP審議を地震対策のためには遅らせたらという野党各派の当然すぎる提案を、審議を続ければ北海道5区の補欠選挙が不利になるのでその回避のための提案だなどと、あえて曲解までして提案政党を口汚く罵っている。よく考えてみたらどうか。審議が進めば、国会決議違反などの事実が次々と明るみに出て、困るのは自公政権側ではないか。馬鹿も休み休み言えである。

足立某に至っては、己の人間的な至らなさを反省するがいい。いくら憎しとは言い、災害救援のための募金活動を自党の懐に入れるための詐欺行為だなどと誹謗・中傷するなど許されることではない。公党である共産党への大侮辱であり、恥ずべき攻撃でしかない。下種の勘繰りもいいところだ。違うというなら、国民の前にその具体的な証拠を示すがいい。それに、足立某自身が駅頭などに立って募金活動をしてみるがいい。善意の募金を詐欺まがいに流用できるかどうか、自分で試してみるがいい。それでもできると言い張るのであれば、己のゆがんだ心根をよくよく見つめなおせと言いたい。それもできないようであれば、議員など辞めてしまえ!税金の無駄遣いだ。

まさかの片山さんである。大阪維新には、人間としての尊厳を失わせるなにかが存在するのだろうか。あの片山虎之助氏がである。言うも言ったり「今度の地震は(政局の)良いタイミング」だとは、いくら本音だとは言え、絶対に吐いてはならない暴言なのに。罹災者を侮辱し、災害を政局とみなす卑しい考え方でしかないと、大いに反省を促したい。片山さん、自身の尊厳を守るためにも、大阪維新とは決別すべき時ではないんですか。足立某や下地某とは一緒になって欲しくない。

2016年4月16日土曜日

異常なり、天地人!

(咲き誇っているシクラメン-4/15)
3月の初めに咲きだしたシクラメンは、今が見ごろとなっている。我が家では、このシクラメンを「高田シクラメン」と呼んでいる。妻が退職した際に高田さんという元同僚から頂いたからだ。

この「高田シクラメン」は、頂いてからも毎年(数年)律儀に咲いてくれている。水をやるぐらいでたいして手入れもしていないのだが、美しく咲いてくれるので、我が家の一寸した財産になっている。自然のたくましさか、高田さんの真心の賜か、とにかくありがたい。

自然と言えば、ここのところのその異常さには驚かされてしまう。天地ともに狂ってしまったのではないかというぐらいの異常さだ。政治も狂っているから、天地人の全てに異常をきたしているということか。

熊本・阿蘇・大分を震源とする大地震は、かって観た[日本沈没]を想起させるものだ。5年前の東日本大震災は、人も建物をも流しつくしたが、大地そのものまでは破壊し流しつくさなかった。だが、今度の地震は違う。大地そのものを破壊し尽くそうとしているかのような、壊滅型とでも呼べそうな地震だ。この地上に、人間の住むことを拒んでいるかのような荒れようである。このままでは、九州を南北に分断される心配も出てくるのではなかろうか。大げさかもしれないが、天地に異常をきたしているさなかでは、何が起こるかわからない。現実に小笠原では新島もできている。

歴史好きの私には、熊本城に対しての思い入れは深い。清正の心情はともかく、この城に秀頼を 匿って徳川と対峙したらなどと、よく空想にふけったものだ。その熊本城が、惨憺たる姿をさらしている。あの堅固を誇った武者返しの石垣も、威容を誇った天守閣や多くの櫓も、今では見るに堪えない姿となってしまっている。多くの犠牲者の出ている大災害中に、お城を云々するなど不遜であるかもしれないが、私には、熊本城そのものが悲鳴を上げているとしか思えないのだ。助けてくれと叫んでいるとしか思えないのである。

こうした甚大な被害の進行中に、とんでもないことを言い出しかねない輩もいる。「だから(こうした厄災があるから)、憲法に緊急事態条項が必要なのだ」と独裁体制づくりに震災を利用しかねない輩だ。異常をきたしている天地人の人(政権)の輩の考えることは、私には到底理解できない。大震災さえも利用しようとして憚らないのだから。でも、言っても無駄か、あの御仁方には-----。


2016年4月15日金曜日

激震が走った!

(地震大国であることを忘れまい-4/14)
(被害は甚大だ、原発は大丈夫?-4/14)
4/14 夜の9時26分、東京での私は入浴中であった。妻が慌ただしく、浴室のドアを開けて、「熊本で震度7の地震だよ!」と知らせてくれた。東日本大震災から5年、天災は忘れかけたころにやってくるという格言通りの大震災である。被災者の方々には、心からのお悔みとお見舞いを申し上げたい。あの名城「熊本城」も大きな被害を受けたようだ。加藤清正の霊も心を痛めているのではなかろうか。

妻の知らせを聞いて、私の頭を最初によぎったのは川内原発のことであった。熊本からは150KM離れているが、当地でも震度4の揺れがあったとのこと、その対応が心配された。しかし、私の杞憂をよそに、津波の心配がないとの情報で、何の対応もなしに運転を続けているとのこと、あきれ返って開いた口もふさがらない。

ホンダやソニー熊本など周辺の企業は、いずれも様子見で操業を見合わせているというに、最も警戒を要する原発が操業を続けているなど私には信じられないことである。能天気であるとしか言いようがない。危機管理がなっていないということだ。政府の強い対応を望むところである。

熊本と言えば、噴火が心配されている阿蘇火山に近い。この地震が火山の噴火に結びつかなければよいのだがと、余計な心配もしてしまう。この国が、常に自然災害の危険にさらされているのだと、改めて思い知らされた感がする。心構えを忘れるなという、警告なのではなかろうか。

話題は急転するが、検察は甘利君ではなく田母神君の逮捕で矛を収めようとしているらしい。なんとも摩訶不思議なことである。今、国民の求めていることは、甘利汚職事件の真相である。附けたしのような田母神選挙違反事件では決してない。動き出せばあっという間にできる摘発を、収賄の出丸(秘書、事務所)にさえ手を付けようともせずに、手をこまねいている。政権と検察の癒着が見え見えではないか。ここまでくると、シールズではないが民主主義って何だと叫びたい。

癒着組は、、贈賄側のS社とURとの贈収賄事件としてその幕引きを図る狙いであるらしい。馬鹿にするのもいい加減にしろだ。当の甘利君は、睡眠障害を盾にして国会出席を拒みつつ、次の選挙出馬を画策しているとのこと、何が政治家としての「美学」だ。恥を知れ恥を、である。

熊本地震の余震は多く、かってないほど頻繁に強く揺れているとのことだ。余震であるのに、震度6強という、強烈なものもあった。一日も早い終息を願うのみである。だが、甘利君に関しては、その終息を許すわけにはいかない。心して国民の制裁を待て!---と言っておこう。

2016年4月13日水曜日

小旅行を楽しんだ。

(羽村市のチューリップ畑-4/12)
4/12 羽村市のチューリップ祭りに行ってきた。チューリップのあでやかな色どりとその規模には、予想を超えるものがあり圧倒される思いであった。いつものように、旅姿(?)三老人(私、妻、妻の姉)で、あちこちと歩き回って楽しんできた。

羽村市は、かの[大菩薩峠」の作者中里介山の生誕地であり永眠している処である。その中里介山が、筋金入りの反戦論者であったことは知らなかった。あの言論統制の厳しい時代に、その信念を曲げなかったと言うのだから頭の下がる思いだ。昭和19年、腸チフスで59歳という若さで亡くなったとのこと、敗戦を知らずしてその無念さはいかばかりであったろうか。

羽村には、玉川上水の取水堰がある。現在はその様相も変わって、大掛りで近代的な取水堰となっているが、かの開鑿者・玉川兄弟の時代にはどのようなものであったろうか。一昔前に、その業績を歌舞伎じたてにした前進座の[玉川兄弟]を、妻の母と観たことを思い出す。そのゆかりの地にその娘(今は婆さん)たちと立っているのだから、なにかしらの因縁を感じずにはいられない。当時もそうであったと思うが、多摩川の水は今も思った以上に澄んでいた。

(羽村の取水堰-4/12)
中里介山とは反対に、国威高揚に協力したと言われる、かの吉川英治は青梅の住人であった。その記念館が会場から車で30分ほどだというので急遽訪れることにした。記念館には、本や資料だけでなく、昭和初期から高度成長期ぐらいにかけての懐かしい映画ポスターも貼り出されていた。その懐かしさには三人とも興奮し、あらためて自分たちが昭和の人間だと知らされた。

<宮本武蔵>が、三船敏郎や中村錦之助他多くの役者によって演じられていたことや、佐々木小次郎役を鶴田浩二も演じていたことなど知らなかったことも多く、その思想性はともかく、映画を通じて、吉川文学が多くの国民に愛されていたことを知った。

その吉川英治記念館からは、あの大菩薩峠に至る丹波路を辿ることができる。ということで、足を延ばして奥多摩湖にも行った。マイカーでの小旅行はどこにでも行けるので本当に便利である。奥多摩湖は二十数年ぶりだったので、「奥多摩水と緑のふれあい館」ができていたことは知らなかった。

(桜が満開だった奥多摩湖-4/12
私は、このダム(貯水ダム)を奥多摩湖とは呼ばず小河内ダムと呼んでいる。ダム湖に沈んだ小河内村の知人もいて、建設当時のことなども聞いた覚えがあるからだ。その小河内ダムの水資源について、ふれあい館で3D映画を見たりした。ふれあい館はとても勉強になったので、次回は孫たちを連れて行こうと思っている。

大菩薩峠は、このダム湖の上奥にあり、多摩川の水源地となっている。峠には、二十代前半に2回登ったが、とても急峻で苦しかったことが想い起こされる。その登山も、今では途中まで車で行けるとかで、大分楽になったらしい。それでも、今の私ではもう登れないだろうと思う。寂しい限りだ。

混雑した新青梅・青梅街道を帰り道として、途中、日本そば「尾崎庵」(善福寺近く)に立ち寄り、夕食に舌鼓を打った。私のお気に入りの手打ちそば屋である。少しかためではあったが、三人とも追加したほど美味しかった。

朝8時半頃に出発した小旅行は、夜の8時頃に義姉を送って終わった。とても楽しかった。

―小旅行中も、私たちのリュックやバックには、「安倍政治を許さない」のメッセージホルダーがつるされて揺れていた。安倍暴政を片時も忘れないためにと、どこにでもつけて歩くからだ。私たちは、日本の危機が身近に迫っていることを、一瞬でも忘れてはならないのである。―

2016年4月11日月曜日

花を咲かせるためには

(久しぶりの自作料理-4/12)
妻の手を借りて、料理らしい料理を久しぶりに作った。
写真には、春らしくとたけのこご飯に春わかめ(気仙沼のいとこが送ってくれた)と新じゃがの味噌汁、あげ鰈のあんかけと焼きとり、トマト・きゅうり・ブロッコリーのサラダ、それに沢庵古漬けのうすぎり醤油あじと言ったものが写っている。ここにには写っていないが菜花のからしみそ和えも作った。本当に腕を振るったという思いである。満足まんぞくといったところだ---。

埼玉県東松山市での知人の法事(忍ぶ会)に出席した折に、地元の農協が開いていた農産物直売所でいろいろと買い求めてきた。新鮮野菜などの食材がたくさんあって、選択に迷うほどの楽しい買い物となった。地粉で打った細めのうどんも求め、その晩には早速食して目を細めた。思わぬところにうまいものがあるものだ。 
(今年も咲いてくれた二輪草-4/11)
今年も二輪草は見事なくらいに咲き誇り、自生地(板橋区大門地区)は、、真っ白に染められていた。ボランティアの人たちの努力には心から感謝したい。私は、毎春の楽しみとしてこの自生地を訪れている。

この大門地区には、伝統行事としての「田遊び」がある。すぐ近くの民俗資料館でその動画も公開されている。動画には私の知人も映し出されており、いつも懐かしい思いを甦らせてくれる。伝統行事は、今や貴重な文化遺産でもあるし、廃れさせてはならないものだ。地元の方のより一層のご努力を願うのみである。

伝統と言えば、伝統ある日本農業を滅ばしてはならないというのが、TTP参加への国民の込められた願いであったはずだ。

(大門地区の二輪草群生地-4/11)
私は、そのTTPをめぐる国会論戦を注視しているが、自公政権のあまりなまでの横暴ぶりに、日本の民主主義は壊されたと怒り心頭に達している。秘密主義もいいところで、ここまで国民を愚弄するかという思いで一杯だ。今の日本は、まるでアメリカの属国でもあるかのような有様だ。情けないことこの上なしである。

資料を公開すれば、国民の前にその売国的秘密交渉ぶりが暴かれるので、全面黒塗りの資料(?)を出すしかなくなっている。潜在する秘密の不当性を浮き彫りにさせても、口を噤んでしまえという戦術をとっている。質問にも一切答えず、はぐらかしの答弁(?)で時間をつぶす。最早安倍内閣は、国民を代表する内閣ではなくなった。自らその反動性を国民の前に開陳しても、恥じることはなくなってしまった。軍国主義国家へ歩み始めたということだ。

国民を無視した政治は、戦争するための国家を目指していることの証明でもある。今の安倍自公は、そのことを露骨にし始めており隠そうともしなくなっている。黒塗り資料は秘密保護法の具体的適用例として試している筈だ。このまま、見ざる聞かざる言わざるの三無し国民を育て上げようとしているのだ。だから、今を許してはならない。今を許したら悔いを生涯に残すことになる。

TTPの最高責任者であった甘利前大臣を、不眠症を理由に隠し通しているのも、安倍自公にとっては致命傷になりかねないからだ。資料だけでなく、犯罪者(?)をも隠し通そうとするなど許されることではない。国家が、国家的犯罪者(?)を匿うなど決して許されることではない。今や民主主義は殺されようとしているのだ。自公プラスおおさか維新の手によって----。

二輪草は、多くの善意とたゆまないと努力のもとに花を咲かせている。藪を取り払い幾多の雑草を取り除いて、自生地を守っているから、咲き誇ることができる。私たちだって守れるはずだ。自公やおおさか維新といういうばい菌やカビを取り除けば民主主義は必ず守られるのだ。TTP国会、私たち国民は心して見つめようではないか。不正は許さないという信念をもって見つめようではないか。

2016年4月8日金曜日

春休みは疲れる!でも嬉しい。

(磯ガニとりに興じる孫たち―3/30)
写真は、春休みに泊まりに来た二人の孫たちと、葛西臨海海浜公園に行った時の一枚だ。潮の具合が今一で、釣りは駄目であったが磯ガニとりは楽しむことができた。

家族連れで来ていた親切な女性にエサのスルメを頂けたので、孫たちは磯ガニとりに興じることができた。持参していた魚肉ソーセージではとれなかったので、感謝感謝というところであった。孫たちは大満足である。

公園は人工海浜(砂浜)であったが、海辺の雰囲気はあり、中には潮干狩りをしている親子もいた。ちょうど干潮ということもあって、それなりに貝がとれたようで嬉しそうであった。


(荒川土手の菜の花群落をバックに―4/1)
左の写真は、一番下の孫と埼玉県上尾市の丸山公園に桜と釣りを楽しむために出かけた時の一枚だ。途中の荒川の土手に咲いていた菜の花群落がきれいだったので、車から降りてパチリと撮った。ちょうど盛りだったので、菜の花の好きな妻(ばあちゃん)は大喜びであった。

公園の沼での釣りは、来合せていた高校生たちに、釣り方を教えてもらったりエサを分けてもらったりしてそれなりの釣果を上げることができた。浮き釣りはサッパリだったが、教えられた通り沼の縁を脈釣りしたら、引きも型もよいブル-ギルが何匹(尾)も釣れて、孫は大喜びであった。どうも、私はエサの選定や仕掛けにうといようである。

(彩湖道満パークに咲いた満開の桜―4/5)
4/5~4/6にかけては、一番上の孫娘が泊まりに来た。今度中学2年生になるので、今までのように簡単には泊まりにはこれなくなった孫である。バレーボール部に入っているとかで、なかなか顔を合わせることができず、私としては寂しい限りであったが、久しぶりの顔合わせはとても嬉しいものであった。

誕生祝のプレゼントを一緒に買いに出かけたり、写真の公園をのんびりと散歩したりとそれなりに充実した二日間であった。でも、いつも飛びついてきていた孫の成長は、喜んでよいのやらと複雑な心境でもある。妻(ばあちゃん)と三人で川の字に枕を並べられるのは今回限りかなどと考えると、結構つらいものだ。古希まじかの歳(69才)のせいなのだろう。

こうして孫たちと楽しい時を過ごせるのは、先人たちの築き上げた平和な日本国こそである。その平和な日本を壊そうとしている安倍自公を私は決して許さない。愛する孫たちのためにも、平和な日本を守り抜かなければと思う。

2016年3月28日月曜日

治安維持法は許さない。

(春まだ浅い吉見観音三重塔―3/22)
治安維持法の下、特高警察によって無残に殺害された小林多喜二の写真を見た。写真は、その悪法の何たるかを如実に示している。本当にひどい時代であったと思う。

その点、今の時代は、戦争の反省から得た平和憲法によって、まがりなりにも社寺巡りなども楽しむことができる。この自由を勝ち取ってくれた先人達には、感謝の念で一杯だ。

しかし、昨今の政治情勢は、安倍政権のために急速に悪化の一途をたどってきている。予断を許さない状況だ。軍靴の響きが間近に迫っているのを、肌身で感じるようになってきている。危ないことこの上ない。

現代版の治安維持法を形作るためか、破防法に加えて秘密保護法を暴挙によって法制化した。もちろん、国民の思想や結社の自由を奪うためにである。なにがなんでもアメリカのポチ軍隊を目指す安倍政権は、露骨に国民への挑戦を開始した。なりふり構わずといったところだ。国民が反対を唱えようが抗議しようが、ルールも何もかもをも無視して、軍事国家への道を暴走しだしている。公明党・大阪維新が一緒であることは言うまでもない。
                                 
(吉見観音で剪定されていた桜の小枝に花が咲いた-3/27)
何がそこまで暴走させているのかは、私には理解ができないが、感じられるのは、妄執にも似た権力へのあくなき執着である。そこには、国民への思いやりや励ましは少しも感じられず、ドロドロとしたヘドロ状態での確執のみが見受けられる。自己陣営の利益のみを追及してやまない姿は、ただただ恥ずかしい限りである。

消費税の軽減税率を巡っての策謀や、PPT交渉の詐術にも似た取り決め、加えてメディアへの度重なる干渉と圧力、甘利問題に対しての馴れ合いたと腐敗しきった妥協等、取り上げるのも嫌になるぐらいだ。

ここにきての、北海道民を裏切った鈴木父娘の蠢動は見苦しい。共産党憎しとはいえ、破防法までを持ち出すとはビックリポンの道化でしかない。とち狂ったと言われても仕方がないであろう。だいたいにおいて、彼らに政治理念や思想性があるのだろうか。疑わしい限りである。都合によって民主に行ったり自民にすり寄ったりと、その節操のなさは目を覆うばかりだ。

日本の軍国主義者やドイツのヒトラーが「反共」を唱えてどういう結果を招いたかをよく考えてほしいものだ。戦争は「反共」を足掛かりとして始まる。「反共は戦争前夜」と言われる所以を、よく考えてみればいい。安倍政権を利するための「反共」は、国を亡ぼすことにつながることを肝に銘じるべきだ。父娘して何をしているんだあなた達は!

2016年3月7日月曜日

鵺(ぬえ)は国会から去れ!

(今年も咲いたシクラメン-3/5)
もう何年になるだろうか。今年もシクラメンが咲いた。
ほとんど手入れもしていないのに、毎年可憐に咲き誇ってくれている。最初のころは、暮れから正月にかけて開花していたが、この頃では、3月から4月にかけて開花するようになった。気候変動のせいででもあるのだろうか。だとすると、開花時期が早まりそうだとも思えるのだが、どうだろうか。それとも、手入れが行き届かないせいで、花そのものの開花力(生命力)が弱まったということなのだろうか。

手入れもしないで、開花力を云々するなど、花(写真のシクラメン)に対して失礼に過ぎるかもしれないが、毎年咲き誇ってくれていることには感謝しているので、花さんには勘弁してほしいところである。ともかく、理屈抜きに「今年も咲いてくれてありがとう」と言いいたい。本当にありがとう。

ここのところ、国会中継をよく見ている。受信料は払っているのに中継の少ない(意図的かどうか?)NHKでは物足りなくて、インターネット中継を主として利用している。高校野球などは、2チャンネルに変えてまで全試合をほぼ完全に放送(中継)しているのに、国会審議に至っては、中途でも放送を打ち切ってしまう。そのカット部分は深夜に放送しているからと、その対応のまずさをしきりに弁解しているが、そうした扱いを受けているのが小規模な政党であることは覆い隠している。

(枯れたと思っていたミニバラが復活した-3/5)
高市総務大臣は、そうしたNHKの不公平をこそ指弾すべきであって、メディアによる政権批判を押しつぶそうなどとの圧力を加えるべきではない。思想信条にかかわる放送内容に関しては、権力側はいかなる干渉をも慎むべきなのだ。放送法の成立過程が、今日の平和憲法成立と軌を一にして、戦争からの反省に根差していることは言うまでもない。つまり、放送法は、二度と戦争に加担しないというメディアの強い自己批判による表現の自由を守るための自己規範だ、ということを忘れてはならないのだ。その法の精神も理解しないで、権力によるメディアへの規制法であると解釈するなど、断じて許されることではない。勘違いも甚だしいし、驕りもいい加減にしろというものだ。

そのおごる政権におもねる勢力もある。国会議員としての任務や役割を本当に承知しているのかと疑いたくなってしまう。国会が招請した公述人に対して、あろうことか、侮蔑した対応をなし捨て台詞まで吐き散らした愚か者がいたのだから、あきれ返ってしまう。いかに何でもそれはないではないか。その足立何某とかいう大阪維新所属議員は、これまでも、本来の質疑から外れた他党攻撃を繰り返し、反論できない議場であることを悪用して、国会や国民を侮辱してきた問題議員である。このような議員が言論の府たる国会にいること自体が、私には理解ができない。それも、時の政治権力に対しての批判故ということでもあればまだ許せるとしても、その権力にすり寄りおもねるための暴挙でしかないのだから、野党を標榜するも恥ずかしいくらいである。恥を知れ!---だ。

鵺(ぬえ)的な大阪維新は、この国にとって百害あって一利なしの政党だ。とっとと、自民党に行け!中央においても恫喝的大阪方式が通用するなどとは思わないほうがいい。なめるではないぞ。

2016年2月23日火曜日

軍国主義者の亡霊か?

(団地の春はこぶしの花から―2/23)
例年のことであるが、団地の春は「白梅とこぶし」の開花から始まる。今年もその順番で訪れた。白梅は散り始めているが、こぶしはこれからで、写真のようにチラホラと咲き始めた。

今、私たちの団地は、大幅な修繕工事とサッシ取り換え工事が終わって、すこぶる快適な住環境となっている。管理組合の担当者には感謝感謝である。築40年以上の団地なのに、とても快適に生活でき、満足満足といったところだ。

ところが、団地生活の特徴と言ってもよいのだろうが、個々の受け止め方にはいろいろあるようで、なかなか難しい側面もある。きれいになったのだから、良かった良かったとはいかないようだ。

工事の施工や予算面に対しての不服や、担当者達に対しての不満や批判も相当出された。私などは、これまでの仕事柄からか、その担当者たちの苦労が偲ばれるだけに、不満や批判などさらさら湧いてこないのだが----。人間集団とは複雑なものである。

(辺野古基地反対のための国会包囲行動―2/21)
沖縄の辺野古基地問題は、その複雑なものの最たる具体例である。戦争したい人間などいるはずもないであろうに、人権を無視してまでも作ろうとする輩がいて、それを支持する数多の市民もいるのだから、複雑怪奇という外はない。

沖縄は、その歴史的事実を見てもわかるように、いつも本土の権力者によって虐げられてきた。前の戦争では、本土の捨て石としての犠牲を強いられ、県民の4分の1が犠牲となり殺された。

その沖縄にである。その沖縄に新たな基地を建設して、さらなる犠牲を強いるなど、通常の考え方ではありえない話なのだ。そのあり得ない話が、国の施策として打ち出され、実行されつつあるのだから、国家とは人民を虐げるために存在するのかと、懐疑的にさえなってしまう。

今、私(達が)対峙している国家は、明らかに民主主義とはかけ離れた存在になりかけようとしている。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治]からは、だんだん遠のこうとしているのだ。それも、立憲主義を骨抜きにしようとしている奴らの手によってである。自公+大阪維新、お前たちは軍国主義者の亡霊なのか?

2/21(日)の国会包囲行動には、28,000人もが参集した。その人たちの手と手が、国会を完全に包囲した。「沖縄を返せの」歌声も響き渡った。怒りの声は、天にまで届いたはずだ。亡霊なんかに負けてたまるかである。

2016年2月21日日曜日

悪しき流れ

(再掲/荒川の赤い水門)
安倍自公による悪しき流れは、数の力をもってますますその流れを強くしている。もはや、濁流と言ったその流れは、清流を濁そうとあの手この手を繰り出している。暴言や失言はもちろん、嘘八百をさえ強弁で押しつけ、民主主義そのものを破壊しようとしている。まるで、ヒトラーの手口そのものだ。

その先兵となっているのが、当ブログでも投稿した、ヒステリックでふてぶてしい安倍ガールズである。彼女らの安倍への傾倒ぶりは、もはや信仰にも似た狂信ぶりとなっている。発狂しているとしか言いようがない。そこには、国民への愛を忘れた、政権(安倍)愛に満ちたエゴイズムしか見られず、戦争回帰のためには手段を択ばないという、ファシストの本性がむき出しとなっている。

もはや、狂信的集団の戯言だなどと笑い飛ばしている時ではない。その狂信的集団が、数々の戦争への証左を隠そうとはしなくたって来ているからだ。しかも、大きな流れの中の一つ一つを翼賛メディアを通して、いつの間にか国民の間に浸透させてきている。本来、国民の目であり耳であるべきメディアは、もはや安倍政権の前では、卑屈なポチメディアと化している。読売・産経・日テレ・フジTV ・NHKのその服従ぶりは、目を覆うほどであり、御用メディアと言っても決して言い過ぎではない。ジャーナリストの矜持はどこへ行ったのかと、嘆くほかはない。

じわじわと続けてきた復古教育の浸透、戦争回帰を図る歴史修正主義の台頭、日本版NSCの創設、特定秘密保護法の強行採決、人権無視の原発再開、武器輸出三原則の撤廃、産軍体制の強化、自衛隊の米軍従属化、強権による立憲主義の破壊、危険な海外派兵の現実化、言論弾圧を企む放送法の拡大解釈、憲法9条への明確な挑戦、手始めにと企む緊急事態法制定----と、挙げればきりのないことを、安倍自公は着々と進めてきた。もちろん、軍事国家復活のためにである。

こうした悪しき流れは、戦争へとまっしぐらに続く怪しげな道筋でもある。かっての一億○○○と言ったあの雑多な掛け声は、騙し煽り続けた軍事国家の決まり文句であった。だから、安倍の一億○○○は、警戒しなければならない危険信号なのである。私たちは、この一億○○○をあえて持ち出した意図をこそ、知るべきだと思う。

こうした悪しき流れを堰止めるには、国民の大大団結が必要だ。全野党共闘による参議院選挙協力は勿論のことだが、自公政権にその目を覆いかぶされている国民多数の目覚めこそが肝要なのだ。今最も必要なことは、その覚醒運動の大規模な展開だと私は思う。その展開の中でこそ、国民の大大団結は図れる。ユニークで効果的な覚醒運動を展開したいものだ。研究しなければ。

2016年2月11日木曜日

泰然自若と----。

(年賀に頂いた菓子折りの包装紙図柄)
何ともほのぼのとした表情である。この七福神のふくよかさはうらやましい限りでもある。邪気のない笑顔とでも言おうか、本心から購入者の来福を願っているのであろう。---と、このように全ての笑顔を素直に受け止めることができるならば、この世から争い事などはなくなるはずと、思うのだが----。

昨今の閣僚の笑顔には、その裏に何かしらの含みやたくらみが隠されていて、うっかりしているとその笑顔に騙されてしまう。安倍首相にしろ、高市総務大臣にしろ、(他のほとんどの閣僚も)本心を隠していることが見え見えであるだけに、その怪しげな笑顔には、ついつい警戒心を抱いてしまう。困った癖がついてしまったものだ。

リメイク布袋という私のハンドル名は、ブログを始めてから、この七福神の布袋さんにあやかろうとして名付けたものだ。仕事や身体に痛手を被っていた時期と言うこともあって、それらの回復や補修(リメイク)を計る私には、リメイク布袋という名がとてもふさわしく思えたのでそう名付けた。慌てず焦らずのゆったりとした心境で歩いて行こうと思ったからでもある。

その私がである。
急速に現実味を帯びた戦争する国への逆戻りを、阻止できないでいる自身(陣営)のもどかしさと、その危険を多くの人たちに警鐘しきれない焦りから、イライラと地団太を踏んでいるのである。こんなことでは、布袋さんの心境に学ぼうなど、とてもとてもおこがましいことだ。「泰然自若として、焦らず急がず慌てずに」が目標であったはずなのだが、遥か遠くのことであるようだ。子供みたいに「安倍が悪い」と言ってしまえば楽なのであろうが、仮にも古希前ダンシ(男子)の言うことではない。心の鍛えが足りないのだから、鍛えなおす他はないのである。― 嘆くなら、嘆かぬ我に、鍛えよし ― と、言ったところか。

2016年2月8日月曜日

多士済々もいいところだ。

(改修なったベランダで今年も咲いた沈丁花-2/7)
政治家の責任の取り方やその美学には驚かされるものがある。甘利大臣のそれには、開いた口も塞がらない。斡旋も口利きもしないでただどりした賄賂を政治献金だと言いつくろったり、たかり常習の秘書をかばい立てして辞職することが、美学だと思っているらしいのだから恐れ入る。ただただ恐れ入る次第である。

又、そのことを潔い決断だと褒めたたえる自公政権のその腐臭体質にも、おう吐をもよおすばかりである。汚いことこの上ない。その汚濁を浄化すべき、法務大臣には、法律を論ぜず、質問外のことを何十篇も繰り返して、疑惑の同僚議員をかばい立てする人がふさわしいらしい。正義を唱える人は遠ざけられるようだ。内閣法制局長官やNHK総裁と共通した安倍的職務意識が歓迎されているようだ。
半面、マスコミで安倍批判をして正論を吐く名だたるキャスターは、軒並降板の憂き目にあっている。言論弾圧が流行っているらしい。菅官房長官のチェックが厳しいとのことだ。そのうち、何も言えなくなってしまうのか、戦前のように。ばかばかしいにも程がある。

総理大臣に倣って、関係ないことをまくしたてる大臣も優遇されるらしい。
厚生大臣の安倍マネや新しい経産大臣のデタラメ答弁は、安倍政権の優良答弁でもあるらしい。
(本音をむき出しにした安倍首相―2/4)
誠実そうだった中谷防衛大臣は、今では安倍首相そっくりとなり、原発反対を唱えていた河野氏は行政改革大臣就任と同時に原発再開容認へと変節した。命がけでとTPP絶対反対を叫んでいた経産省副大臣は、晴れがまし顔をして道化た和服でその調印式に臨んだ。志操堅固はどこへやらと、その変節ごっこも流行っているらしい。どうやら、自公政権は、変節者の吹き溜まりらしい。

下着ドロをかばったり、言論封殺をもみけしたり、戦争大好きのあんちゃん代議士をそだてたり、汚職疑惑のオリンピック大臣を守ったり、暴言を吐く身内の磯崎議員をかばったりしているので、安倍の周りには、安倍に義理立てしなければならない奴が、わんさかと群れ集まっている。親分!親分には絶対服従しますから、次の選挙もお願いします、と。

鼻声で馴れ合い質問を繰り返,し、憲法9条の改悪を狙う極右の稲田政調会長、ベタベタ寄り添いながら、報道規制を企む高市総務大臣、選挙違反も平気だし島売りも平気な島尻大臣、稲田に追いつけと安倍カラーに染まりたい都知事の元妻議員、と安倍ガールズも多彩で安倍首相もご満悦の様子である。忘れていたが、原発再容認で除染なんて簡単でいいと言った環境大臣もいたんだっけ。とにかく男も女も、お化けワールドも顔負けするぐらいに多士済々である。でも鬼太郎たちの水木ワールドに例えたりしたら、泉下の先生に叱られるだろうな。そんな言い怪訝な奴らは、ワールドには入れないと----。

本音をむき出しにした安倍総理はとても危険だ。だんだんヒトラーの手法が身についてきたようだ。その本性に触れて、憲法改悪には触れないでと頼んでも、無視されるのは公明党。今更、平和ぶっても遅いのだ。そもそもが、公明党が政権欲につかれたからこうなったのだ。その責任は取ってもらおうじゃないか。もう学会だって、だまされないはずだと思うよ。いい加減に目を覚ませ公明党!でも、無理かな。やっぱり、無理だろうな。

2016年1月20日水曜日

トホホである。

(平成28年のお正月料理)
今年のお節料理には、私の作品(煮物)?は入っていない。昨年は、煮物の大半をそれなりに作って好評(?)を得たのだが、今年は一品たりとも並べられていない。それだけでなく食器洗いにさえ参加できなかったのだから、料理好きの私には波乱の幕開けとなってしまったのである。

昨年の暮れ(12/29,12/30)に、私たち夫婦は、娘家族と一緒に千葉の館山に出かけてきた。宿が取れなくて、漁港近くの民宿だったのだが、施設・料理ともに評価するには今一といったところであった。娘夫婦のお誘いなのだから何も言うつもりはないが、首を一ひねりといったところだ。それでも、私は婿殿と釣りができたので、海と戯れて楽しい旅行であった。

その肝心な釣りに関しては、魚がいるのに釣果はさっぱりというもので、小物ばかり数尾という寂しいものであった。もちろん腕前云々というよりは、仕掛けが適合しなかった(?)のだから仕方のないことであった。でも隣の人たちが、アジやタコ、このしろ、クロダイ、キス、メバル、ボラなどをそれなりにあげているのを見るのは羨ましくも情けないことであった。

そんな私に同情してくれたのか、その人たちの一人が、食べるならと大形のボラを一尾恵んで(?)くれた。ボラは捌いたことがなかったので、少し躊躇ったが好意を謝して頂いてきた。そしてそのボラが、波乱の幕開けを呼び込むこととなったのである。

なんのことはない、おいしく捌くはずが自分の指を捌く(切り傷)始末となり、暮れの30日から正月の15日ごろまで水を使うことができなかったのだ。、好評の(?)の煮物もつくれず、お節の一切を妻に任せざるをえなっかったのである。私にとっては残念至極のことであった。子供たちや孫たちから「じいちゃんの煮物は美味しい」と言ってもらいたかったのに----あーあーである。

繰り言/捌いたボラは、意地でもと刺身にして食した。活きがよかったので癖もなくまあまあ美味しかったが、妻は、私が自分の指を捌いたことからかあまりおいしそうには食していなかった。 トホホである。


2016年1月15日金曜日

グーの音も出させない!

(議員会館前で抗議 1/4)
新年を迎えても、安倍自公の暴走は止まらない。1/4から始まった国会審議でも、その独善的態度を改めようとせずに、ひらきなおりと言い逃れに終始し、臨時国会を開かなった憲法違反の行為や、消費税軽減税率の曖昧さ、選挙目当ての3万円バラマキ、心のこもらない慰安婦問題での日韓妥協等と国民を愚弄して憚らない。

新年早々の国会抗議行動では、安倍が本性を露わにして、憲法改悪の目論みを明言したので、その怒りも頂点に達していた。国民に挑戦状をたたきつけたも同じだからである。驕りに任せて「止められるものなら止めてみろ」と嘲笑っているのが窺い知れるからでもある。

安倍がひたすらに憲法改悪に向かっているのに、肝心な野党共闘は遅々として進んでいない。新宿西口での「市民連合の初集会-1/5」も、私には期待したほどの盛り上がりが感じられなかった。

それは、政党、特に民主党の本気度が感じられなかったからだ。憲法学者の小林節氏や中野晃一氏の言う通り、今は、政策の違いがどうのこうのを言っている場合ではない。この国が、戦争への道に確実に踏み出したという事実を重く考え、危機は目の前に迫っていること、事態は緊急を要していることを、全身で受け止めるべきなのだ。一党のみの利益に縛られている時ではない。いい加減にしてほしいと思う。

(北朝鮮の妄動ぶりを伝える新聞-1/7)
北朝鮮の妄動は、日本の軍国主義復活への口実を与えかねず、サウジアラビアとイランの対立も中東介入という機会を、安倍政権に与えようとしている。狡猾な安倍政権が、この機を逃すはずはない。にもかかわらず、最大野党の民主党は、事態の本質や深刻さを勉強しようとせず、党内派閥の思惑に左右され続けており、ただただ情けない姿を晒すのみである。しっかりしろ民主党!身を捨てる覚悟で安保法案に対処しろ!民主党主導で勝てるとでも思っているのか----。

今や、自民党ばかりでなく、大阪維新やその他の反動どもまでもが、憲法改正を叫んで国民をだまそうとしている。と言って、このままの事態を見過ごすことはできない。こんなはずではなかったと慌てふためく公明党はすてておいて、私たちは、戦争反対で一致できる全勢力を結集させる必要がある。そして、60年安保を上回る、一大闘争を展開をさせなければならないと思う。それこそ、「100万人規模の国会包囲デモ」等を組織して、反動勢力にグーの音も出させない一大抗議行動を起こすべきだと思う。ぜひにでも実現させたいものである。


2016年1月1日金曜日

申年は、暴れ年?

(今年の干支のサル君です。)
明けましておめでとうございます。
と、手放しで祝うことができるかどうか不安な情勢となっている。

証券業界には、申年は暴れ年になるとして注意を呼びかける向きがあるようだが、安倍自公に壟断されているこの国の前途はいかがなものであろうか。

年末のあわただしい「日韓劇場」は、歴史のゆがみをただすものとは程遠い、被害者を置き去りにしたご都合主義の政治決着パフォーマンスであった。厳に、被害者の元慰安婦たちの激しい抗議行動に見舞われ、その曖昧さを両国民の前に露呈した。

ここのところの安倍政権の行動は、すべてが7月の参議院選挙に向けた票獲得のための欺瞞的な行動だ。そこには、国民の思惑や意思は存在してはいない。あるのは、この参議院選挙で、憲法改悪を推し進めようとする邪悪な企みだけである。国民を、表面的なもので釣り上げようとする、姑息で陰険な政治手法の連続でしかないのだ。

愚かでお粗末な公明党でも、安倍自民の企みに気づかないはずはない。それなりの見識を持ち合わせてはいるはずだから、内心では慌てふためいているに違いない。それでも、彼らは、安倍自民とは袂を分かつことができないと思う。なぜなら、彼らにとって権力とは、麻薬にも似た甘い蜜のようなものとなっているからである。今の公明党は、学会などの支持者から、手ひどいしっぺ返しでも食わない限り目覚めることないと思われる。それほどまでに、権力の亡者となり果てているのだ。もはや、期待はできないし、すべき存在ではない。

この年が、例え暴れ年と言われようと、私たちは乗り切っていかなければならない。乗り切って、安倍自公を必ず倒すのだ。そうしなければ明るい未来は望めないし、孫たちに胸を張って平和を語れななくなってしまう。見ザル、聞かザル、言わザルとなって、負けザルなんかになるものか!........である。

2015年12月28日月曜日

来年こそはである。

(抽選で手に入った整理棚-12/27)
この年ほど、イライラとさせられた年はなかった。この年ほど、不安にかられた年はなかった。一年を通して、じりじりさせられてほんとうに落ち着けない過去最悪の年であった。ゼット旗がやけに目につく戦争回帰への不毛な年でもあった。

みんな自公政権のせいだ。立憲主義を犯して、平和憲法に泥を塗りつけた、反民主主義勢力のせいだ。とんでもない戦争法案を国民に押し付けて、軍国主義復活を企んだアメリカ追従者たちのせいだ。

こんな年の最後に、私にとっては幸運(?)な出来事が訪れた。小さな喜びに過ぎないのだろうが、写真の植木(花)用整理棚が手に入ったのだ。区のリサイクルセンターに申し込んでいたものが、抽選で7倍の難関をクリアして手にできたのである。

クジ運が悪くて、これまで何度も落胆を味わってきただけに、こんな小さなことでも私にはとてもうれしいこととして、受け止められるのだ。たかが、500円という低価格のものであってもである。とにかく、抽選に当たったという事実が何よりもうれしいのである。ちなみに、写真奥のキャスター付き移動棚もリサイクルセンターで、申込者なし備品の処分品として取得したもので、とても重宝している逸品だ。マンションの改修工事に合わせて取得できたので、運が向くのでは?などと勝手に喜んでもいる。

(12月19日の集会/於:ほくとピア)
2枚目の写真は、12月19日に開かれた「自衛隊員を戦場に送らせない」ための集会を撮ったものだ。北区のほくとピアで開かれたもので、会場に入りきれない程の盛り上がりで、その熱気は、民主勢力今だ健在を知らしめるものであった。

参加者の誰もが、安倍自公政権への怒りを露わにしていた。怒り心頭といったところである。暴走を続ける安倍内閣への危惧は、今や戦争への直結が感じ取れるまでに具体化してきた。

戦前に戻ろうと画策する連中は、メディア攻撃も露骨になり、正論を貫く者たちを、個別攻撃の方法をもって排除しようと躍起になっている。情けないことに、その動きに与する読売・産経・日テレ・フジなどの右派メディアは、政権と一緒になってその謀略に積極的に加担している。TBS・テレ朝・毎日・朝日などの経営首脳陣は、すでに屈服の姿勢を示しており、この国の未来を暗澹とさせてしまった。

だからといって、負けるわけにはいかない。戦争なんてまっぴらである。市民の力をもって、必ず阻止して見せる。市民の力を侮るなかれである。当たったことのない、抽選にもあたったのだから、来年は必ず良い年にしてみせるぞ。



2015年11月30日月曜日

右へ右へと----。

(昭和40年代の冬の郷里―会津磐梯山を臨む)
写真は、昭和40年代初めのころの冬景色である。遠くに磐梯山を配した雪景色は得がたいものであった。
この風景は、高校卒業を目前にした雪解けの時期であったろうか。就職で上京する私にとっては、名残の尽きない景色となって、今も心の奥深くにしまわれているものだ。

「戦争はとてもいけないものだから、先生たちは反対しているんです。」「あなたたちを戦場に送り届けたくないから、声を上げているんです。」
60年安保闘争の時に、小6だった私たちに話してくれた先生の言葉は、今もこの耳に残っている。

「君たちは、アカと言って揶揄するけど、アカってどういうことを指して言うのか知っているのか。」
「アカは働く人たちの尊い血の色で、働く人たちのために闘う象徴的な色でもあるんだよ。」
高校3年の時の国語の先生の話は、胸に響くものであった。何も知らずに、粋がってその先生をアカ呼ばわりした恥ずかしさが思い起こされてならない。

私たちの学んでいた昭和の30~40年代は、先生たちとの会話はある程度自由であった。だから、先生たちの一言一言は、それなりに私たちの心に染み入るものが多かったと思う。先生たちもまた、子供たちをどう教育しようか、子供たちの未来をどう守っていこうかといった姿勢を、前面に押し出していたと思う。そうした中での信頼関係は、その後の受験一辺倒に走ったお仕着せ教育とは違って、人間的な血の通いあいを感じさせたものであった。

(3年前の孫の入学式―H13.4)
2枚目の写真は、2年前の孫の入学式の写真である。その時の印象は、このブログでも書いたように形式ばったもので、国旗掲揚や国歌重視といった側面が見え見えで、孫たちの将来に暗澹たる思いをさえ抱いたものであった。

最近の自公政権下における、国家的圧力による政治的右傾化は目に余るものが多く、その急速な押し付け政策には、目を覆うばかりである。

報道機関への圧力はもちろん、右翼組織を利用しての歴史の修正をはじめ、教育への介入によってつくられつつある戦前回帰への道徳普及、自衛の名目による戦争準備への強化など、あげたらきりのない押し付けぶりである。

それも、秘密保護法の制定や、軍事産業への加担、戦争法案の強行突破など、虎視眈々として軍事国家再生をめざす下準備をした上でのことだけに、悪質も極まりないものである。

国民よ目覚めよである。沖縄では、民主主義も人権も国家の名のもとに犯されているではないか。機動隊を派遣までして沖縄県民を弾圧しているではないか。見過ごしていけないのだ。この国が右へ右へと傾いていくのを見過ごしては、絶対にならないのである。

2015年11月22日日曜日

負けてたまるか!

(マイナンバー配布の不在通知―27/11)
かっての赤紙(召集令状)でもあるまいに、赤色の不在通知書とはなんとも縁起が悪い。借金や滞納税の督促状でもなかろうに、感情を逆なですることこの上ない通知書だ。

最初から、このマイナンバー制度については異論が多かったが、国民を管理下に置こうとする自公政権は、国民の了承を図ることもなく遮二無二推し進めようとしている。安保法制下の国づくりのために必要だかろうか。国民をなめるのもいい加減にしてほしい。

案の定、不在通知書を受け取っても郵便局に出かけない人たちが多く、通知書が役所に戻されているということだ。当然のことだと思う。自分たちを管理束縛するためのものに、積極的に協力などできるはずがないではないか。

このままの状況が推移すれば、マイナンバーを保持しない国民が、数百万人にも達するかもしれない。そうなったら、国家的一大事であるはずだが、それでもそのまま見切り発車することになるだろう。将来に禍根を残そうとも、政府の狙いが、国民総背番号による国家統制にあるのだから、強引な押し付けをやめることはないと思われる。

(辺野古での政府欺瞞を伝える東京新聞―27/11)
安保法制化の軍事国家には、国家統制のとれる財政的裏付けがどうしても必要だから、いいも悪いもなく国民から搾り取る姿勢を強めることは間違いない。それが自公政権の本質なのだから。

私たちは、産軍一体の国家方針で戦争を遂行し、国民に塗炭の苦しみを与えたあの軍閥政治を忘れてはならない。
秘密保護法のもとに、国民の目と耳をふさいで戦争に突っ走ったあの暗黒専制政治を忘れてはならない。
産学一体の名のもとに、軍事教育を敷いて軍事開発を促し、前途洋々たる学生を愛国の名のもとに戦場に送った、あの明治外苑での狂気の行進を忘れてはならない。
そして、かっての軍閥体制下で、私たちの父祖が、どのような抑圧下で戦前戦中を過ごしたかを、思い起こさなければならないのだ。

今まさに、すぐそこに危機は迫っている。フランス・パリでのテロ事件を契機に、安倍政権は、かってのような言論弾圧を企んで、「共謀罪」の再提出をさえ目論んでいる。一挙に軍事体制を作ってしまおうという考えだ。「日本会議」なる右翼組織が、憲法改正を叫んで蠢動していることもその一端だ。ネット右翼などはすでにヒステリー状態となっており、ハイルヒットラーを彷彿させている。

日本人は、正邪の判断によらず感情に流されやすい。そのことが、反テロを口実とした専制国家体制づくりに利用されようとしている。軍国坊ちゃんたる安倍は、今をチャンスと翼賛体制を築こうとしている。本当に、危険極まりない情勢だ。

私たちは、心して自公政権を監視しなければならない。戦争への道を、なんとしても阻止しなければならない。そのためにも、戦争反対の闘いを絶え間なく続ける必要があるのだ。暴走政権の圧力によって、正論は押しつぶされようとはしているが、必ずや勝利すると私は確信している。正義が負けるはずはない、負けてたまるかである。

2015年11月18日水曜日

存在意義なし?

(H26/11の京都旅行―「絶景かな」の南禅寺)
腰を痛めてのたうち回っている時に、情けないニュースが飛び込んできた。あまりなまでの不快感に腰の痛みが増幅されてしまった。

それは、細野豪志・前原誠司などが、本音を露にして民主党年内解党論をぶちまけたからだ。前々から分派的行動を続けていたので当たり前といえば当たり前であるのかもしれないが、それにしても、タイミングを計ったようなその行動には、顰蹙を通り越して政治家としての良識をさえ疑わざるを得ない。正直、バカじゃないのといったところだ。日本をどうしたいと思っているのか。

彼らは、立憲主義・民主主義が犯されている今の危機的現状を、認識できていないのであろうか。先の延長国会で明白となった、自公政権による平和主義への挑戦を、本当に理解しているのだろうか。

理解していないのだとしたら、民主党員としてこれまでとってきた彼らの行動は、単なるパフォーマンスでしかなかった言うことだ。戦争反対!民主主義を守れと訴え続けた大多数の国民を裏切り続け、破壊者自公政権を裏から助けていたと言うことだ。平和を求める多くの国民をだまし続けてきたということだ。

共産党とは相いれないだとか、理想とする民主党の党是に反するとかを理由にして、戦争勢力と対峙する勢力の大同団結をつぶそうとして躍起になっているあんたたちは何者なのだ!民主勢力の内部分裂を図る政権側の回し者だったということなのか。恥を知れ恥を!戦争の危機が迫っている時に、今あなたたちのやろうとしている行動は、かっての翼賛政治家の行動そのものだということが分からないのか。

あなたたちに民主的政治家を名乗る資格はない。民主勢力一員としての存在意義すらもない。そんなに権力に縋りつきたいのなら、さっさと自公勢力側にすり寄っていけばいい。私たちには必要はないのだから。
石川五右衛門は、アンチ独裁を叫んだと言われている。あなたたちも、少しは見習うがいい!



2015年11月15日日曜日

とにかく痛かった!

(秋の味覚・柿/練習画題模写)
<ギックリ腰で大騒ぎ>

朝目覚めた時に、なんとなく腰に違和感を感じた。布団を押し入れにしまったあたりから、鈍い痛みのような感じがあったけど、それほど気にするほどの痛みではなかった。

朝食をとり食器を洗おうとして中腰になったら、徐々に腰の痛みが強くなってきた。それこそ、徐々に徐々にである。あれあれという言う感じで腰が固くなってくるのが感じられて、これはやばいことになりそうだと急いで食器を洗い終えた。別にギクッとしたことがあったわけではないのに、このころには歩くのが辛いぐらいの痛みに変わっていた。余りの辛さに畳に横たわったら、妻が心配して声をかけてきた。

冷やしたら楽になれるかもしれないと、薬箱から「冷えピタ」をとりだし痛い部分に貼った。ひんやりした冷たさに幾分か痛みがやわらいだので、そのまま横になって少し眠った。眠りから覚めてからは、痛む腰をさすりながら、いつもの日常に戻った。―10/24(土曜日)―

浴槽に入って温めては悪いのではとの妻の言を受けて、シャンプーと髭ぞりだけを済ませて就寝したが、なかなか眠られずに何度も寝返りを繰り返した。ところが、その寝返りが思うに任せなくなってしまい、トイレに起きだすのも一苦労になってしまった。体全体が硬直した感じになってしまったのだ。これはかってのギックリ腰と同じ状態だった。そこで、腰をゴムバンドで押さえて腰にかかる負荷を減らすことにしたが、そんな対応は一時しのぎでしかなく、とうとう身動きができない状態になってしまった。


(野菜/練習画題模写)
 それでも痛みに耐えながら、湿布薬や痛み止めの薬で火曜日まで我慢したが、翌日の「日帰り同級会」に参加するかどうかで悩むことになった。と言うのは、同級会を日帰りにすることにしたのは、私の要望であったからだ。その私が参加しないとは言いづらかったのである。

<無理をして同級会に>

今年の同級会(小中学校時代)は、巣鴨のレストランでフレンチのコース料理を楽しむという趣旨のものであった。安くて美味しいとの評判だとのことでとても楽しみにしていた。併せて近くの巣鴨地蔵尊にお参りしようとのプランでもあった。

巣鴨であれば、私のところから地下鉄で30~40分のところであるから、少しぐらいの無理は大丈夫だろうということで無理を承知で出席した。そして、コース料理を楽しんだり、お参りしたり、カラオケをしたりと、痛い腰をさすりながら同級生と旧交を温めてきた。

<痛み止めの注射を何か所にも>

楽しみの後にはなんとやらで、その夜から、トイレで紙を使用できないぐらいの状況に陥ってしまった。本当に這うような具合であった。翌日(木曜日)には、とうとう我慢が出来なくなってしまい、何とか病院にたどり着いて診察を受けた。レントゲンで腰を撮ってもらったら、先に痛めていた部分がさらに変形しているとかで、絶対減量を仰せつかってしまった。不節制の報いだとなじみの医師に笑われてもしまった。あげくは、背中からお尻にかけて、何か所も痛み止めの注射を打たれたのである。

今日(11/15)に至って、ようようにして痛みも薄れたが、なんとも辛い二十日間余りであった。わかっていても不節制してしまう自分のせいなのではあるが、なんとかならないものかと愚痴ってしまう自分でもあるのであきれているところである。

減量は一日にしてならないのである。肝に銘じよ!だ。