2015年12月28日月曜日

来年こそはである。

(抽選で手に入った整理棚-12/27)
この年ほど、イライラとさせられた年はなかった。この年ほど、不安にかられた年はなかった。一年を通して、じりじりさせられてほんとうに落ち着けない過去最悪の年であった。ゼット旗がやけに目につく戦争回帰への不毛な年でもあった。

みんな自公政権のせいだ。立憲主義を犯して、平和憲法に泥を塗りつけた、反民主主義勢力のせいだ。とんでもない戦争法案を国民に押し付けて、軍国主義復活を企んだアメリカ追従者たちのせいだ。

こんな年の最後に、私にとっては幸運(?)な出来事が訪れた。小さな喜びに過ぎないのだろうが、写真の植木(花)用整理棚が手に入ったのだ。区のリサイクルセンターに申し込んでいたものが、抽選で7倍の難関をクリアして手にできたのである。

クジ運が悪くて、これまで何度も落胆を味わってきただけに、こんな小さなことでも私にはとてもうれしいこととして、受け止められるのだ。たかが、500円という低価格のものであってもである。とにかく、抽選に当たったという事実が何よりもうれしいのである。ちなみに、写真奥のキャスター付き移動棚もリサイクルセンターで、申込者なし備品の処分品として取得したもので、とても重宝している逸品だ。マンションの改修工事に合わせて取得できたので、運が向くのでは?などと勝手に喜んでもいる。

(12月19日の集会/於:ほくとピア)
2枚目の写真は、12月19日に開かれた「自衛隊員を戦場に送らせない」ための集会を撮ったものだ。北区のほくとピアで開かれたもので、会場に入りきれない程の盛り上がりで、その熱気は、民主勢力今だ健在を知らしめるものであった。

参加者の誰もが、安倍自公政権への怒りを露わにしていた。怒り心頭といったところである。暴走を続ける安倍内閣への危惧は、今や戦争への直結が感じ取れるまでに具体化してきた。

戦前に戻ろうと画策する連中は、メディア攻撃も露骨になり、正論を貫く者たちを、個別攻撃の方法をもって排除しようと躍起になっている。情けないことに、その動きに与する読売・産経・日テレ・フジなどの右派メディアは、政権と一緒になってその謀略に積極的に加担している。TBS・テレ朝・毎日・朝日などの経営首脳陣は、すでに屈服の姿勢を示しており、この国の未来を暗澹とさせてしまった。

だからといって、負けるわけにはいかない。戦争なんてまっぴらである。市民の力をもって、必ず阻止して見せる。市民の力を侮るなかれである。当たったことのない、抽選にもあたったのだから、来年は必ず良い年にしてみせるぞ。



2015年11月30日月曜日

右へ右へと----。

(昭和40年代の冬の郷里―会津磐梯山を臨む)
写真は、昭和40年代初めのころの冬景色である。遠くに磐梯山を配した雪景色は得がたいものであった。
この風景は、高校卒業を目前にした雪解けの時期であったろうか。就職で上京する私にとっては、名残の尽きない景色となって、今も心の奥深くにしまわれているものだ。

「戦争はとてもいけないものだから、先生たちは反対しているんです。」「あなたたちを戦場に送り届けたくないから、声を上げているんです。」
60年安保闘争の時に、小6だった私たちに話してくれた先生の言葉は、今もこの耳に残っている。

「君たちは、アカと言って揶揄するけど、アカってどういうことを指して言うのか知っているのか。」
「アカは働く人たちの尊い血の色で、働く人たちのために闘う象徴的な色でもあるんだよ。」
高校3年の時の国語の先生の話は、胸に響くものであった。何も知らずに、粋がってその先生をアカ呼ばわりした恥ずかしさが思い起こされてならない。

私たちの学んでいた昭和の30~40年代は、先生たちとの会話はある程度自由であった。だから、先生たちの一言一言は、それなりに私たちの心に染み入るものが多かったと思う。先生たちもまた、子供たちをどう教育しようか、子供たちの未来をどう守っていこうかといった姿勢を、前面に押し出していたと思う。そうした中での信頼関係は、その後の受験一辺倒に走ったお仕着せ教育とは違って、人間的な血の通いあいを感じさせたものであった。

(3年前の孫の入学式―H13.4)
2枚目の写真は、2年前の孫の入学式の写真である。その時の印象は、このブログでも書いたように形式ばったもので、国旗掲揚や国歌重視といった側面が見え見えで、孫たちの将来に暗澹たる思いをさえ抱いたものであった。

最近の自公政権下における、国家的圧力による政治的右傾化は目に余るものが多く、その急速な押し付け政策には、目を覆うばかりである。

報道機関への圧力はもちろん、右翼組織を利用しての歴史の修正をはじめ、教育への介入によってつくられつつある戦前回帰への道徳普及、自衛の名目による戦争準備への強化など、あげたらきりのない押し付けぶりである。

それも、秘密保護法の制定や、軍事産業への加担、戦争法案の強行突破など、虎視眈々として軍事国家再生をめざす下準備をした上でのことだけに、悪質も極まりないものである。

国民よ目覚めよである。沖縄では、民主主義も人権も国家の名のもとに犯されているではないか。機動隊を派遣までして沖縄県民を弾圧しているではないか。見過ごしていけないのだ。この国が右へ右へと傾いていくのを見過ごしては、絶対にならないのである。

2015年11月22日日曜日

負けてたまるか!

(マイナンバー配布の不在通知―27/11)
かっての赤紙(召集令状)でもあるまいに、赤色の不在通知書とはなんとも縁起が悪い。借金や滞納税の督促状でもなかろうに、感情を逆なですることこの上ない通知書だ。

最初から、このマイナンバー制度については異論が多かったが、国民を管理下に置こうとする自公政権は、国民の了承を図ることもなく遮二無二推し進めようとしている。安保法制下の国づくりのために必要だかろうか。国民をなめるのもいい加減にしてほしい。

案の定、不在通知書を受け取っても郵便局に出かけない人たちが多く、通知書が役所に戻されているということだ。当然のことだと思う。自分たちを管理束縛するためのものに、積極的に協力などできるはずがないではないか。

このままの状況が推移すれば、マイナンバーを保持しない国民が、数百万人にも達するかもしれない。そうなったら、国家的一大事であるはずだが、それでもそのまま見切り発車することになるだろう。将来に禍根を残そうとも、政府の狙いが、国民総背番号による国家統制にあるのだから、強引な押し付けをやめることはないと思われる。

(辺野古での政府欺瞞を伝える東京新聞―27/11)
安保法制化の軍事国家には、国家統制のとれる財政的裏付けがどうしても必要だから、いいも悪いもなく国民から搾り取る姿勢を強めることは間違いない。それが自公政権の本質なのだから。

私たちは、産軍一体の国家方針で戦争を遂行し、国民に塗炭の苦しみを与えたあの軍閥政治を忘れてはならない。
秘密保護法のもとに、国民の目と耳をふさいで戦争に突っ走ったあの暗黒専制政治を忘れてはならない。
産学一体の名のもとに、軍事教育を敷いて軍事開発を促し、前途洋々たる学生を愛国の名のもとに戦場に送った、あの明治外苑での狂気の行進を忘れてはならない。
そして、かっての軍閥体制下で、私たちの父祖が、どのような抑圧下で戦前戦中を過ごしたかを、思い起こさなければならないのだ。

今まさに、すぐそこに危機は迫っている。フランス・パリでのテロ事件を契機に、安倍政権は、かってのような言論弾圧を企んで、「共謀罪」の再提出をさえ目論んでいる。一挙に軍事体制を作ってしまおうという考えだ。「日本会議」なる右翼組織が、憲法改正を叫んで蠢動していることもその一端だ。ネット右翼などはすでにヒステリー状態となっており、ハイルヒットラーを彷彿させている。

日本人は、正邪の判断によらず感情に流されやすい。そのことが、反テロを口実とした専制国家体制づくりに利用されようとしている。軍国坊ちゃんたる安倍は、今をチャンスと翼賛体制を築こうとしている。本当に、危険極まりない情勢だ。

私たちは、心して自公政権を監視しなければならない。戦争への道を、なんとしても阻止しなければならない。そのためにも、戦争反対の闘いを絶え間なく続ける必要があるのだ。暴走政権の圧力によって、正論は押しつぶされようとはしているが、必ずや勝利すると私は確信している。正義が負けるはずはない、負けてたまるかである。

2015年11月18日水曜日

存在意義なし?

(H26/11の京都旅行―「絶景かな」の南禅寺)
腰を痛めてのたうち回っている時に、情けないニュースが飛び込んできた。あまりなまでの不快感に腰の痛みが増幅されてしまった。

それは、細野豪志・前原誠司などが、本音を露にして民主党年内解党論をぶちまけたからだ。前々から分派的行動を続けていたので当たり前といえば当たり前であるのかもしれないが、それにしても、タイミングを計ったようなその行動には、顰蹙を通り越して政治家としての良識をさえ疑わざるを得ない。正直、バカじゃないのといったところだ。日本をどうしたいと思っているのか。

彼らは、立憲主義・民主主義が犯されている今の危機的現状を、認識できていないのであろうか。先の延長国会で明白となった、自公政権による平和主義への挑戦を、本当に理解しているのだろうか。

理解していないのだとしたら、民主党員としてこれまでとってきた彼らの行動は、単なるパフォーマンスでしかなかった言うことだ。戦争反対!民主主義を守れと訴え続けた大多数の国民を裏切り続け、破壊者自公政権を裏から助けていたと言うことだ。平和を求める多くの国民をだまし続けてきたということだ。

共産党とは相いれないだとか、理想とする民主党の党是に反するとかを理由にして、戦争勢力と対峙する勢力の大同団結をつぶそうとして躍起になっているあんたたちは何者なのだ!民主勢力の内部分裂を図る政権側の回し者だったということなのか。恥を知れ恥を!戦争の危機が迫っている時に、今あなたたちのやろうとしている行動は、かっての翼賛政治家の行動そのものだということが分からないのか。

あなたたちに民主的政治家を名乗る資格はない。民主勢力一員としての存在意義すらもない。そんなに権力に縋りつきたいのなら、さっさと自公勢力側にすり寄っていけばいい。私たちには必要はないのだから。
石川五右衛門は、アンチ独裁を叫んだと言われている。あなたたちも、少しは見習うがいい!



2015年11月15日日曜日

とにかく痛かった!

(秋の味覚・柿/練習画題模写)
<ギックリ腰で大騒ぎ>

朝目覚めた時に、なんとなく腰に違和感を感じた。布団を押し入れにしまったあたりから、鈍い痛みのような感じがあったけど、それほど気にするほどの痛みではなかった。

朝食をとり食器を洗おうとして中腰になったら、徐々に腰の痛みが強くなってきた。それこそ、徐々に徐々にである。あれあれという言う感じで腰が固くなってくるのが感じられて、これはやばいことになりそうだと急いで食器を洗い終えた。別にギクッとしたことがあったわけではないのに、このころには歩くのが辛いぐらいの痛みに変わっていた。余りの辛さに畳に横たわったら、妻が心配して声をかけてきた。

冷やしたら楽になれるかもしれないと、薬箱から「冷えピタ」をとりだし痛い部分に貼った。ひんやりした冷たさに幾分か痛みがやわらいだので、そのまま横になって少し眠った。眠りから覚めてからは、痛む腰をさすりながら、いつもの日常に戻った。―10/24(土曜日)―

浴槽に入って温めては悪いのではとの妻の言を受けて、シャンプーと髭ぞりだけを済ませて就寝したが、なかなか眠られずに何度も寝返りを繰り返した。ところが、その寝返りが思うに任せなくなってしまい、トイレに起きだすのも一苦労になってしまった。体全体が硬直した感じになってしまったのだ。これはかってのギックリ腰と同じ状態だった。そこで、腰をゴムバンドで押さえて腰にかかる負荷を減らすことにしたが、そんな対応は一時しのぎでしかなく、とうとう身動きができない状態になってしまった。


(野菜/練習画題模写)
 それでも痛みに耐えながら、湿布薬や痛み止めの薬で火曜日まで我慢したが、翌日の「日帰り同級会」に参加するかどうかで悩むことになった。と言うのは、同級会を日帰りにすることにしたのは、私の要望であったからだ。その私が参加しないとは言いづらかったのである。

<無理をして同級会に>

今年の同級会(小中学校時代)は、巣鴨のレストランでフレンチのコース料理を楽しむという趣旨のものであった。安くて美味しいとの評判だとのことでとても楽しみにしていた。併せて近くの巣鴨地蔵尊にお参りしようとのプランでもあった。

巣鴨であれば、私のところから地下鉄で30~40分のところであるから、少しぐらいの無理は大丈夫だろうということで無理を承知で出席した。そして、コース料理を楽しんだり、お参りしたり、カラオケをしたりと、痛い腰をさすりながら同級生と旧交を温めてきた。

<痛み止めの注射を何か所にも>

楽しみの後にはなんとやらで、その夜から、トイレで紙を使用できないぐらいの状況に陥ってしまった。本当に這うような具合であった。翌日(木曜日)には、とうとう我慢が出来なくなってしまい、何とか病院にたどり着いて診察を受けた。レントゲンで腰を撮ってもらったら、先に痛めていた部分がさらに変形しているとかで、絶対減量を仰せつかってしまった。不節制の報いだとなじみの医師に笑われてもしまった。あげくは、背中からお尻にかけて、何か所も痛み止めの注射を打たれたのである。

今日(11/15)に至って、ようようにして痛みも薄れたが、なんとも辛い二十日間余りであった。わかっていても不節制してしまう自分のせいなのではあるが、なんとかならないものかと愚痴ってしまう自分でもあるのであきれているところである。

減量は一日にしてならないのである。肝に銘じよ!だ。









2015年10月31日土曜日

絶句!

(玄関の靴入れ横の避難グッズ/二人分)

  • 辺野古にて
                     いくさの顔を
        
           さらす安倍
  • 安倍露骨
        いくさのための

           自治破壊

  •  へのこ海
        自公の泥で

           汚されん

  •  安倍自公
        自治も平和も

           もくずにと

別に安倍の独裁政治から逃れるために、写真の避難グッズを用意したわけではない。居住するマンションの大規模改修に合わせて置くようにしたものだ。震災時に、夫婦が一緒に行動できるかどうか不確かなので、とりあえず二人分を用意した。実際のところ、いざその時には慌てふためいて、用意したグッズを持ち出せるかどうか自信は持てないところではあるのだが........。

さて、上記の川柳ではないが、安倍政権の暴走ぶりは狂気の沙汰といっても大げさではない状況になってきた。まさに、絶句!する意外に表現のしようがない状況である

おりしも、南シナ海では、アメリカが中国に対して無用の挑発を繰り返そうとして、集団的自衛権の名のもとに日本を戦争に巻き込もうとしている。これぞといわんばかりに、舌なめずりする戦争好き安倍政権の思惑が見え見えで、腹だたしいことこのうえない。

フィリピンと軍事同盟を結んでいるはずのアメリカが、中国の横暴を今まで許してきたことを棚に上げて、さも緊急事態であるとか、国際法に抵触するだとかで今更騒ぎ立てるなど、アメリカとの軍事同盟とやらの頼りなさを露呈したということに他ならないと思えるのだが、いかがであろうか。少なくとも私にはそう見える。

尖閣諸島における対応においても、同様に騒ぎ立てるのみで、我が国のためになす集団的自衛権に基づく行動は当てにできないであろうと思う。アメリカが緊張を煽り立てて、自衛隊が巻き込まれていくという構図が予見されて不安である。それも安倍自公にとっては計算ずくのことであると言うことなのであろうか。

(荒川の土手で見つけたおんぶバッタ―白はティッシュ)
戦争の危険がますます身近に感じられる昨今ではあるが、自然はそんなことに関わりなく時を進めている。

写真は荒川土手を散歩している時に見つけた、生存のための営みの一コマである。子供のころは、おんぶバッタ(イナゴの場合も多い)だといってわけもわからずに引き離したりしたが、さすがに今ではそんな無慈悲なことはしようとは思わない。

愚かな政権の下で、死の灰に見舞われる危険を感じつつも、自然のゆったりとした歩みを、穏やかに見つめるられるよう、そうした余裕を私は保ちたい。

安倍政権打倒!


2015年9月18日金曜日

くやし涙を忘れまい

(最後の一匹も死んだ 9/17)
一匹だけ残って頑張ってくれた金魚が死んでしまった。水槽を軽くたたくと、餌を求めてパクパク口を開けながら寄ってくる姿はもう見られない。

同じ日、日本の民主主義と平和主義は、立憲主義を破壊しポチアメリカを求める輩の手によって、消しようもない汚点をつけられてしまった。

テレビ中継から流れる異様な映像は、この国の民主主義がどのようなものかをまざまざと知らしめるものであった。そして、それを中継するテレビ局の解説者のコメントも耳を疑うもものの繰り返しであった。

NHK,日テレ、フジテレビは政府の御用達ぶりを競ってか、事実認識の甘さと論旨の曖昧さをが特に目立ち、白を黒と言いくるめるその報道ぶりには怒りをさえ覚えた。私は、即座にNHKに抗議の電話を入れた。もちろん氏名を明らかにしてのことだ。多くの抗議があったのか、なかなか接続できなかったが、思いのたけを述べて抗議した。

(9/15の国会前の抗議集会で見つけた落選させたい議員の
             写真一覧-公明党参議議員の箇所)
9/15夕刻から、私たち夫婦は、何度目かの抗議デモに出かけた。左の写真は、その際見つけた、「安保法制に加担して日本を戦争国家へと導く参議院議員一覧」のうち公明党の箇所であった。今や反対運動の高まりは、抗議行動を突き詰めて、国家に仇名す議員の落選運動へ発展していることを示している。当然のことと思う。
こうした国民の声を無視した与党議員に対しては、選挙で厳しい審判を下すことが天命であると私は思っている。

9/17のテレビ中継を見ながら、私はその憤りから、悔し涙が流れ出るのを止めることができなかった。そうした私を、妻はただ何も言わずに見つめていてくれた。同じ思いであったと思う。

数の力に対抗できないでいる己の微力さを思うたびに、何もできないもどかしさを味わうたびに、涙はとめどなく溢れた。口惜しい、たまらないこの現実を目にしなければならないことが限りなく悔しい。

黙ってなどいられない。シールズの若者たちが言っていたように、この仕打ちに対しての返答は必ずする。おごるなよ自公政権、必ず鉄槌を下してやる。国民をなめるではない!このくやし涙は決して忘れないぞ。

2015年9月9日水曜日

恥知らずもいいところだ

(だるまさんも怒っている)
(この声を無視するのか!)
もはや自民党は政党とは言い難い権力にしがみつく政治屋集団になり果ててしまった。「安倍親分」にどう忠誠を示すかと、揉み手しすり寄る様は、見苦しくもあさましい限りである。

同じ与党の公明党も同様に、自称平和の党から自民におもねり尾をふる「自民党のポチ」へと大きく変貌してしまった。

総裁選の朝に、安倍におもねる自民議員が、安倍を励ますとして、餌待ち顔で集結した。ポスト狙いが見え見えで恥ずかしいことこの上ない。まるで、安倍大明神を祭る「大政翼賛会」の結成式といった具合だ。

一方の公明党も、支持母体の学会信者の一部から、安保法制に対しての異議をつきつけられ、その真摯な声に耳を貸そうともしないで、山口委員長に面会を求め反省を促す代表を玄関払いとしてしまった。それも雨の中、4時間余りも立たせたまま警備員に対応させるといった、非人道的な恥ずかしいものであった。自分たちを長年にわたって支え続けた支持者への対応として、心の痛みを感じえないのであろうか。

あの麻生大臣が、消費税の扱いについて、値上げに伴う低所得者への救済策として、酒を除く食料品に関しては2%の軽減税率を適用するが、一律減税ではなくマイナンバーカードを使っての還付税方式を採用するなどととんでもないことを言い出した。減税ではなく還付してやるといった頭ごなしの上から目線の対応である。あげくは、カードを使わないのは勝手だが、減税の恩典を放棄するものだと、低所得者をなめ切ったえげつない放言までしている。マイナンバー制度の普及利用を露骨に示しながらである。公約違反など何らの反省もしていない。

「安保法制」の委員会では、防衛省制服組トップの違憲資料の開示を、求められた同一のものは存在しないとして提出を拒絶され、委員長以下自公及び同調委員によって了承してしまった。シビリアンコントロールの根幹を揺るがす問題を、党利党略で覆い隠すなど到底許されることではない。真剣に国民の幸せを考えていないという証拠を示した言うことだ。それだけではなく、審議打ち切りも日程に上らせた。国民の疑問にも答えずに、国民の納得も得ずに審議を打ち切って強行採決に及ぼうなどは、暴挙以外の何ものでもない。

恥を知れ、自民党! 国民に謝罪せよ、公明党!与党を助ける「二世代、新党改革」の各党も裏切りを反省しろ!肝心な時に分党騒ぎを起こした橋下とその一派はその罪を悔い改めよ!

本当に恥知らずもいいところである。


2015年8月30日日曜日

安倍政権「打倒」の声を大にして!

(この日が独裁政治を決定づけた)
右の写真は、2012/12/17付の新聞である。
私は、この選挙結果から暗澹とした未来が予測されて、その不安をこのブログで示した。そして、こうした選択をした自分を含めた国民の愚昧さを嘆いたものである。

2015/8/30の今日、もはやファシズム化して戦争へと突き進む安倍暴走政権に対して、私たちは行動をもってその前面に立ち塞がった。ストップ・ザ・安倍政権、戦争阻止、立憲政治を守り憲法9条を破壊させないためにと立ち上がったのだ。

東京だけではない、全国のあちこちで、日本の平和を守るためにと、抗議の一斉行動をすることになっているのだ。私たち夫婦は、国会大包囲のデモに加わるために、これから出かけようと準備しているところだ。大声を出して、精一杯に安倍政権打倒のために頑張るつもりである。 ―午前中はここまで―

(抗議活動開始前に、伊豆から参加された方に撮ってもらった)
午後から、小雨降る中を国会での抗議活動に出かけた。私たちは、日比谷から徒歩で向かったのだが、1時間30分前だというのに、歩道はあふれんばかりの人波で、正門前にたどり着くのも大変であった。

地方からの参加者も多く、知らない者同士でもすぐに打ち解けて話し合うことができた。左の写真は、そうした中で撮っていただいた1枚である。

抗議活動は、空前の参加者で国民の意思を安倍政権にたたきつけるものであった。最初、抗議活動を国会周辺の歩道内に留めようとした警察権力の企みも、参加者のあまりなまでの多さに押されて、正門前車道での活動を余儀なしとせざるを得なかった。当然のことである。時の政権への抗議活動は、国民としての侵されざる権利そのものであるのだから。

(国会前車道を埋め尽くしたデモの波 8/30午後)
自民党の谷口幹事長は、衆議院の強行採決に抗議する市民活動を、60年安保に比べたら大したものではないと鼻であしらった。今日の抗議活動を見ても同じセリフをはけるかと聞いてみたいものである。

恥知らずの強行政治を続ける自公政権のことだから、おそらく参議院での強行採決を図ることは間違いない。そのためにと、野党分裂をもくろんで下準備した、橋下と組んだ出来レースの「維新の分裂騒ぎ」を利用することは明々白々のことである。

だが、国民を馬鹿にしてはいけない。そんな企みを許すはずがないではないか。数の力で一時は押されても、選挙での懲罰という国民の力が働くことを覚悟しておくことだ。なめるなよ安倍晋三!

2015年8月29日土曜日

明日(8/30)は国会に行くぞ!

(一番上の孫娘中学1年生になりました。)
夏休みということで、一番上の孫娘が2泊3日で私のところに遊びに来た。早いもので、写真の孫娘ももう中学1年生にもなっている。

孫娘にとっては、私のところは息抜きできる場所であるらしく、だらだらと漫画の本を読み漁っていてはばあさん(妻)に叱られていた。それでも、一緒に買い物に行ったり、宿題の料理をしたり、川遊びに行ったりと、結構楽しんでいたようだ。

少しだけだけど、そんな孫娘と戦争について話し合った。もちろん、バレーボールばかりに熱中している子だから、なかなか話はかみ合あわなかったが、戦争してはいけないということは理解できたようだ。

今の安保法案についても、少し話してあげた。何故、じいちゃんやばあちゃんが反対しているのか、何故、国会に反対デモを続けているのかを、私なりの考えで話してあげた。押しつけがましくならないように、へたな先入観にとらわれないようにと結構気を遣いながらだ。

今、私たち夫婦は、毎日の様相について神経質なくらいに注意を払っている。それだけ、危険が差し迫っていると肌に感じているからだ。大きく右に傾いたマスメディアの動きが急激であればあるほど、安倍体制の悪あがきが差し迫っていて、暴挙は間近だと身震いするぐらいに感じていからだ。

可愛い孫たちに、戦争の惨禍をあじあわせてならない、この孫たちと住む日本を、戦争をする国・出来る国にさせてはならないと、私達夫婦は国会に押しかけている。私達にできるせめてもの行動だと思っているからだ。

明日は、大きな山場となる8/30の全国的な一斉行動日だ。雨の予想も出ているが、何が何でも出かけようと思っている。

2015年7月20日月曜日

天罰は下される!

(自公の暴挙を伝える朝日新聞 7/16)
何と言ってよいのかわからないほどの激しい怒りを覚えている。ジッとしているのがもどかしいほどの怒りである。

2015/7/15は、わが日本国の民主主義が破壊された忌まわしい日として記憶されることと思う。そして、2015/7/16は、日本の国会が立憲主義から逸脱した自公勢力にジャックされた日として記憶されることと思う。

安倍独裁に脅えて言うがままの自民党議員、政権にしがみつくことを党是としてしまった公明党幹部、その幹部に盲従する公明党議員。そうした醜い勢力に国会は乗っ取られてしまった。

国民の安保法制に反対する意志を無視して、戦争への道に踏み出したこの輩は、どのように弁明や言い逃れをしようともその罪からは逃れられない。特に公明党幹部に至っては、平和を希求する純真な学会信者を裏切ってまで自民党と歩調を合わせたのだから、その罪の深さはたとえようのないものである。

本会議での締めの討論をした公明党遠山議員のあの姿を異常だと感じた国民は多かったのではなかろうか。その論理は押しつけがましく、戦争することの意味すらも感じていない盲信と言ってよいほどの米国追従姿勢。国民の目には、いや創価学会信者の目には、自民党以上の強硬姿勢として映ったのではなかろうか。

(日比谷野外音楽堂での抗議集会 7/15)
自衛隊員のこれまでのPKO活動を軍事活動と混同させたり、その成果を安保法制反対勢力は評価していないなどと話をすり替えたり、自衛隊員の命を軽視している自分たちの主張にも気づかず最も危険な後方支援を正当化したりなどと支離滅裂も甚だしいものであった。

かってのベトナム戦争やイラク戦争で大義なき侵略戦争をしかけたアメリカへの追従が、どれほどの犯罪行為なのかなんて何も考えてはいない。そのアメリカの軍事力の衰えを、カバーさせられる危険性に気付いているのかいないのか、法案の本質から目をそらして与党の位置にしがみつこうとしている。とても平和の党などと称せる姿ではない。もし、天罰というものがあるとするのなら、彼らの頭上に下されることは間違いないことと思う。
(抗議集会の後の国会請願デモ 7/15)

国民をなめんじゃないぞ公明党!
学会信者をなめんじゃないぞ公明党!

(この投稿は、7/16、国会で強行採決された直後の怒り冷めやらずと言った心境のまま記述)

(夫婦で抗議集会に参加-3度目-7/15)

2015年6月28日日曜日

あるがまま精一杯に

(68才を迎えた自画像)
憂いを含んだ自画像となってしまった。
6月16日は、私の68回目の誕生日であった。昨年の誕生日には、子供たちから忘れられて憤慨し、このブログで愚痴っていたが、今年は、忘れられることもなくそれなりに祝いの言葉とプレゼントをもらった。

だから、笑顔での自画像となるはずであったが、誕生日の前日に郷里から義姉(亡長兄嫁)の逝去の知らせが入ったので、こうした顔となってしまった。

義姉は、5年前に蜘蛛膜下出血の大手術をして奇跡的に回復し、昨年からは自動車の運転ができるまでになっていた。その義姉が、蜘蛛膜下出血の再発ではなく、肝臓がんに侵されて肝硬変を起こして旅立ってしまった。

そのがんの要因は、50年余も前に帝王切開手術をした際の輸血だったのではないかということであった。C型肝炎に感染していたようだというのである。何とも割り切れない話であった。5年前の手術後には定期的に検査を受けていたのだから、もう少し早く発見できなかったものかと残念でならない。肝硬変を発症してからは、余命1カ月以内との診断を下され、本人は何も分からないままに75才で鬼籍に入ってしまったのだから、人の一生なんてものは本当に分からないものである。

(9才を迎える孫の凛太朗)

ここのところつかれたように似顔絵を描いている。
デッサン力がないので、思うように描けないでいるがなんとか画き続けている。妻はもちろん、二人の子供たち、4人の孫たち、亡くなっている両親や妻の母親をも画いた。

孫たちからはあまり似ていないと評判の方はあまり良くない。同じ団地の知人からは金にならない絵描きだなんて笑われているが、その人にも押しつけでモデルとなってもらった。お礼だと言ってイナゴの佃煮をもらったりして、結局は迷惑をかけることとなってしまったのだから、困った迷絵描き?である。

義姉の葬儀に帰郷したので、懐かしい顔ぶれと再会でき、こんな折にしか会えないのは残念だなどと、不遜ではあっても懐かしい思い出を話し合った。

私自身も68才を迎えたのであるから、おじさんおばさんもほとんどが亡くなってしまっている。そんな中で、私の親父の末の妹が90才で元気な顔を見せてくれたので、とてもうれしい思いでいっぱいであった。私の両親に直接繋がる只一人の現役おばさんなのである。

(ただ一人となった90才のおばさん)
私は次兄と一緒におばさんとの再会を喜んで一緒に笑顔の写真を撮った。葬儀の後でのことであったが、少々後ろめたい思いで笑顔をカメラに向けた。そのおばさんの似顔絵も、帰宅してから写真をもとにして描いた。

上手ではないが、おばさんに贈ろうと思っている。私の妻は、このおばさんの様に歳を重ねることができたらいいなどと話している。そうしたコメントも添えて写真と一緒に送るつもりでいる。喜んでもらえるとうれしいのだが---。

人の一生は思わぬことの連続であるようだ。
義姉の死はそのことをつくづくと考えさせてくれた。だから、私たち夫婦は、これからの人生をあるがままに精一杯に生きて行こうと考えている。そして、私たちの存在そのものが、周りの人たちの喜びとなれるように生きて行こうと再確認もしている。

2015年6月27日土曜日

暴走は許さないぞ!

(6/24の安保法制反対行動)
6/24 安倍政権の暴走を止めようと多くの人たちが安保法制反対を叫んで国会を包囲した。私と妻もその包囲行動に参加した。

日々にもたらされる安保法制に関する情報は一刻の猶予も許されない事態を示している。大げさではなく、この国の民主主義は破壊され戦前のような戦争をする国へと変貌させられようとしている。

自分達の意志にそぐわないものには耳をかそうともしないで、何が何でも違憲の法案を通そうとする姿は、かっての軍事国家の独裁的な指導者を彷彿させる。安倍首相の顔つきが、かのヒットラーに重なって見えるのは私だけではないのではないか。

60年安保、70年安保の闘争の時にはこの国会前にはあふれるほど人達が集まった。その規模は正に空前絶後というにふさわしいものであった。国民の意思が行動によって示されていたのだ。私は決して過激な行動をあおるものではないが、スマートフォンにかじりつくばかりで無関心極まりない多くの若者を見るたびに、この国の民主主義はどうなってしまうのだろうと不安に陥れられてしまう。若者よ目覚めよそして奮起せよである。

昨日今日のニュースでは、自民党若手議員の傲慢ぶりが、右翼作家百田氏の言動と相まってその不遜ぶりが報じられている。自民党・政権の意にそわないマスコミは潰してしまえと言う乱暴極まりない傲慢ぶりである。かって、若手軍人が先走って国を暴走させた行動にそっくりではないか。
その暴走をたしめるばかりか、言論の自由だからと容認してしまう安倍首相にはもはや民主主義を語る資格さえもも有しない。恥を知れである。

考えれば考えるほど腹だたしい昨今である。
とは言え、腹を立てているばかりでは暴走を阻止することはできない。この国を戦争へと導こうとするすべての勢力に対して、強烈な反撃をしなければならないと思う。今の私でできるあらん限りの行動をとらねばと思う。もちろん、非暴力の行動をであるが、ターゲットを絞って反撃しようと思っている。負けてたまるかである-----。

2015年5月28日木曜日

戦争阻止のために!

(横浜の臨海公園での大集会 5/3)
私がこうした集会に参加するのは、二十数年ぶりであろうか。

戦争への危機感からじっとしておられずに、5月3日の9条の会などが主催する「9条を守れ、戦争反対、原発廃止、沖縄の辺野古基地設置阻止」等の平和を求める大集会に参加してきた。当然に妻も一緒である。

安倍の暴走ぶりは目に余る。このまま放置していれば、日本は間違いなく戦争する国になってしまう。そうした危惧を抱いた人たちが、このまま見逃さないぞとして集まった。主催者発表で35,000人だという。

壇上に立った人たちは、大江健三郎氏を筆頭に声をからして今の危機を訴えていた。従来の学習会的なものでなく、阻止のための行動を求める訴えであった。数の論理から民主主義が破壊されようとしている中、訴えは心に響くものであった。じっとしてはおられない、とにかく行動しなければと大いに励まされる集会であった。

この集会で、私は思いがけない巡り合いをした。
事業の失敗で迷惑をかけてしまい顔を合わせずらくて疎遠となっていた御夫婦に、その会場でバッタリと出会ったのである。35,000人の人ごみの中での再会である。本当に奇跡的な再開にお互いに驚いたり喜んだり懐かしがったりと感慨もひとしおであった。

そのTさんご夫婦も、私たちと同様にじっとしておられずに出かけてきたとの事であった。心強い同志との再会であった。平和が脅かさていることを実感している人たちは、本当に多い。感じるだけでなく阻止するために立ち上がった人たちも多くなっている。私たち夫婦も頑張らねばである。


2015年4月26日日曜日

桜そして日本

(神代植物園の桜 3/31)
満開の桜を見上げるのは何とも言えない気分である。まさに春の息吹を満喫しているといったところだ。

隣接の深大寺には多くの観光客が訪れていた。海外からの花見客も多く、古刹と茶店の組み合わせに古えの日本を偲んでいる様子であった。この時季(約一ケ月間)、桜前線の北上によって日本中が春を楽しむことができる。誰もかれもが、この花の饗宴に酔いしれるのだ。異常気象云々が叫ばれているが、自然はそれなりにありのままに恩恵を与えてくれる。その最たるものがこの桜の日本縦断である。

桜といえば、わが日本の象徴的な花でもあるが、昔からその散りぎわの潔さからか、武士道にも比喩されてきた。先の戦争では、「……咲いた花なら散るのは覚悟……」などと、国家に殉ずる役割にさえ利用されて、死を美化させるお膳立てとされてきたのだ。

この美しい桜が、ここにきて再びきな臭いにまみれようとしている。国際貢献のためとか、積極的平和外交とかの美名に隠された、侵略国家への変貌の危機にさらされているのである。そして、その徽章として利用されようとしているのである。

1強に驕る自民党と政権にしがみつくことを本命とする公明党は、国民を無視して集団的自衛権をなし崩し的に合法化させようと画策し、戦争への道をしゃにむに進もうとしている。恥も外聞見なく経済復興が第一とばかりに、私たちの命の重みを危うくし始めているのだ。

強引に推し進められる怪しげな法制定の数々は、国民の目を本質からそらさせるために字句の修正をもってごまかそうとしている。不謹慎極まりない政治家どもである。世が世であれば、天誅といったところであろうか。

誇るべき桜が、死を美化する道具とされないように、目を大きく光らせねば……。
自然のままに桜の美しさを楽しみ、我が国の誇るべき花として永久にに愛でることができるように頑張らねば……。

2015年3月23日月曜日

孫たちも大きくなっている。

(この子が中学生になる)
写真は、一番上の孫娘である。
何年前のものであろうか。天真爛漫に菜の花の中を駆け巡る姿は、思いだすも懐かしいものである。この子が、この春には中学生となるのだ。

その成長の過程には、いろいろなことがあった。特に保育園時代の送り迎えには思い出が多い。ヨチヨチ歩きの孫娘と手をつないで、帰宅途中のあれこれに目を向けることは楽しいものであった。

猫のニャンコを捜したり、金魚の金ちゃんを見つけたり、近所のおばあちゃんにリンゴをもらったりとまっすぐ帰りついたことなどはなかったものである。とにかく孫娘の送り迎えは楽しいものであった。手を挙げて嬉しそうに飛びついてきた姿が目に焼き付いてはなれない。

今、この子はバレーボールのクラブチームに入っていて、なかなか一緒の時を過ごすことができない。それが成長するということであることは分かっているのだが、寂しいことである。今でさえそうなのだから、中学生になったら今以上に会えなくなってしまうだろう。

ジジイなんてものは勝手なものである。大きくなったと言って喜びながら、会えなくなるからと寂しがるのだから本当に勝手なものである。

この孫娘ばかりではなく、二人の孫息子も大きくなっている。この春には二人とも小学校に入学する。その内の一人は、ランドセルなど背負いきれないのではと思うくらいに小さな体が心配ではある。自転車に乗りたいと言って、補助輪なしで練習する姿に思わず手を差し伸ばしてしまうのだが、あまり手を差し伸べすぎもいけないかとも考えてしまう。とは言え、その自転車で、じいちゃんのところに泊まりに行きたいなんて言われると、ついつい手を出してしまう。本当に困ったものである。

孫たちは順調に育ってきている。この孫たちの為にももうひと踏ん張りしなくては思うこのごろである。戦争など絶対に許さないぞ!


2015年3月22日日曜日

絶対に許さない!

(安保法制を憂える新聞報道)
この国の自公政権は、この国を戦争への道へといざなおうとしている。許してはならないことだ。

暴走気味の政権とは言え、少なくとも2~3年前までは、この国の安全保障について国民への配慮が、そこかしこに見られたものである。憲法の規定からもそれなりに慎重な対応をしていたはずである。

ところがである。昨年いや一昨年の秋ごろからは、そういった一切の配慮をかなぐり捨て、露骨に軍靴の足音を轟かそうとする企みが顕著となってきた。憲法を一内閣の解釈で実質的に変えようとしたり、命を弄ぶような自衛隊海外派兵への道を開いたりと、国民を無視した強権政治を始めている。それも数に驕って国民不在で法制化を謀り、憲法の平和条項を骨抜きにしようとさえもしているのだ。

沖縄の民意を無視した辺野古基地の対応などでは、民主主義の根幹をさえ踏みにじって、恥ずべき言動や態度を示している。会談を求める沖縄県知事に会おうとさえしていない。強行的に工事を始めようとして、抗議の県民を排除さえ繰り返している。そのくせ、口先では、平和維持のために地元としっかりと対話を重ねる等とうそぶき、国民を県民を愚弄してはばからない。

(春を告げる白モクレンが咲いている)
今の日本は、民主主義の国だなどと、とても言えた状態ではない。かっての強権政治への復活を企む連中に、国家そのものが蹂躙されている状況だ。こんな中で、愚かにも「八紘一宇」などとの陳腐な言葉を持ち出して、その思想が我が国のあるべき姿の根幹を示すものだなどと得意げに言明する破廉恥な議員まで出てきた。それもあろうことか国会の場で公然として発言してやまないのだから、あきれかえって開いた口もふさがらい。

何を考えているのだ!お調子者め。その標語のもとにどれだけの多くの国民が被害を受け、どれほど多くのアジアの人々が苦しんだのか、考えたこともないのだろうか。恥を知れ恥をだ。

そのような発言を許してしまう今の国会には危機感をさえ感じてしまう。そうしたことを許している政権の本質が露骨すぎて、その政権に狂おしいほどの憤りを感じている昨今でもある。

今年も桜の季節を迎えようとしているが、その桜さえも国家主義に散り乱されそうで不安でたまらない。戦争は絶対に許してはならないのだ。絶対にである。

                                               

2015年2月4日水曜日

本質を垣間見た!

(妻が旅行してきたNZの大自然 1/18)
現金なものである。
妻が旅行から帰ってきたら、あれほどの孤独感があっという間に吹き飛んでしまった。一人でいた期間の不満をぶちまけてやろうと思っていたのに、結局はほとんど何も言わずに済ませてしまった。それどころではなかったのである。

というのも、妻は帰るそうそうに高熱を発してしまい、寝込んでしまったのだ。私は、妻の旅行先が国外(ニュージーランド)であっただけに、それなりに不安となり大いに気を揉んでしまった。検査の結果は、インフルエンザA型に感染したということで、一安心といったところであったが、当人は旅の疲れと高熱が重なって数日寝込んでしまった。

私たち夫婦がこんなことでてんやわんやしている時期に、中東では大変な事態が発生していた。これまでの日本では考えられないような事件が起こっていたのである。
「イスラム国」を標榜するテロリスト集団が、日本人2名を人質としあれこれの脅迫の末に殺害してしまったのだ。あげくに、日本国を敵対国とし日本国民を殺戮の標的とすると宣言したのである。

(映画の撮影地ともなっているNZの大峡谷 1/21)
人道的にも宗教的にも許される行為ではない。非人間的な残虐な行為であって一切の弁明の余地もない仕打ちである。

これまで、わが日本は中東においては友好国として受け入れられてきた筈である。にもかかわらずこうした事態に陥ってしまったのはどうしたことなのか。「イスラム国」は、日本が十字軍に組したということをその理由としている。

言わずとも知れているように十字軍は、キリスト教国がイスラム教国を制圧するために編成された軍隊で、宗教戦争のための軍隊であった。その十字軍に日本が組したとテロ集団に誤解されたことが、この度の惨劇を生んでしまったのである。誤解した彼らに何らの正当性がないことは明白であるが、誤解させてしまった落ち度については反省しなければならないことと思う。

今回殺害された2名の邦人が人質とされていることは、日本政府においては昨年の内から承知していたことであった。水面下で解放の交渉があったかどうかは分からないが、「イスラム国」における人質の扱い方は、米・英国人への残虐行為からも推し量れるはずであった。

その時期に一国の首相が中東を訪問し、彼らの敵対国と見做されている中東諸国に経済支援をあえて表明するなどとは、私には考えられない暴挙でしかなかった。例え、人道支援がその主たるものであったにしてもである。正当性の是非はともかく、戦争中の当事者にとっては、その支援が敵対行為に見えるのは当然なのではなかろうか。

(NZの大峡谷湾内を観光船で周遊 1/21)

だから、今回の安倍首相の支援表明は、火に油を注ぐ結果を招き、大切な人命を失う大きな要因となったと言わざるを得ない。こうした主張に対しては、積極的ではなく後ろ向きの議論でしかないと批難が浴びせられているが、政府の対応が人命尊重第一でなければならないことを考えあわせると、あえて声を上げるべきだと私は思う。

国会の論戦を見ていても、開き直りのように自分の行為は正しかったと弁明している。批判することはテロに屈したことに他ならないと、矛先を変えようとさえしている。世論もマスコミもその論調に同調されつつあるのがなんとも嘆かわしい。政府は努力した、その努力に目を背けるのは非国民的発想だと言わんばかりではないか。
安倍政権の本質を垣間見た思いでいっぱいである。

犠牲となられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。





2015年1月25日日曜日

育てたように------

(孫の誕生日1/31に贈る予定の色紙)
右の色紙は、孫の誕生日に贈ろうと私が画いたものである。4人いる孫たちには、それぞれに画いて贈ってあげようと思っている。ささやかなプレゼントも用意はしてある。

この10日あまり、私は言いようのない孤独感に襲われている。前回投稿したように、妻の海外旅行で一人だけで過ごしてきたが、この間の寂寥感というものは思いの他のものであった。

妻の海外旅行の件は、正月の顔合わせの時に子供たちには知らせてある。そのおり、独りで過ごすので、泊まりに来るなり顔を出すなりして、何らかの形でコンタクトを取ってほしいと、子供たちには話したつもりであった。

妻が旅行に出発する前夜、「子供たちからは何の連絡もないので寂しい」と言っていた。せめて、「元気でいってきてね」とかの挨拶が欲しかったと言うのである。私も同感であったが、あえて何も言わなかった。

今この投稿を書いているのは、妻が出発してから10日目のことだ。明日には、妻の元気な顔が見れることと思う。そうしたら、この寂寥感も一挙に吹き飛んでしまうに違いない。だから、この投稿には何の意味もないのかもしれない。

でも、旅行先から妻の連絡がほとんどなかったこと、今日まで、子供たちからの連絡が一切なかったことで、私は家族から孤立してしまったのでは、との言いようもない不安に苛まれている。父親としての存在そのものにさえも自信を失いかけている。誰からも、心掛けてもらえなくなってしまったのではないかという、何とも言えない心境に陥っているのである。こうした感情は、老人に特有のひがみなのであろうか。おそらく単純に忘れているに違いないのだろうが、老いるとはこうしたものなのだろう。

「育てたように子は育つ」とは、常づね妻が口ずさんでいる言葉である。この3~4日は、こうしたことを絶えず考え込んでいた。コンタクトへの期待が多かっただけに、何もないことでなにか裏切られた思いの失望感だけが残ってしまっている。考えすぎだ、被害妄想?だとも思っているが、心はスッキリとはしない。関心も寄せられない、それだけの父親に成り下がったということか。

明日、妻の元気な顔を見たら、何と声をかけようか。子供たちからは何のコンタクトもなかったよと、平静に伝えられるだろうか。素直に、孫のプレゼントを買っておいたよと、話ができるだろうか。妻からの直接連絡がなかった不満を、顔に出さずにすませるだろうか。
でも孫の誕生日には、笑顔でプレゼントを届けようと妻に話すだろう自分を知っているだけに、そんな感情のあやがとても惨めに思えてたまらない。

追加―投稿を終えた夜に娘と孫から電話が入った。やはり忘れられていたようだ。娘には、ついつい嫌味にも似た言葉を吐いてしまった。私もまだまだ修行が足りないようである。


2015年1月20日火曜日

情けない話ではあるが---

(今年のおせちは、私が作った)
情けない話ではあるが、独りでいるということが、こんなにも寂しいものだとは思わなかった。
事業に失敗して十数間年もの孤独生活を経験した私であるのに、たかが数日間の一人生活でこのような寂寥感に襲われるとは思いも及ばなかった。

情けない話ではあるが、こんなにも妻が恋しいと思ったことはない。一人で作り一人で食する味気なさが、妻を恋しがらせるのだろうか。たかが10日間あまり妻が留守にするというだけであるのに----。

妻は、友人の誘いで11日間の予定で外国旅行(ニュージーランド)に行っている(今日で5日目)。その友人の息子さんがその国に住んでおり、旅行を兼て会いに出かけるのに便乗させてもらったのだ。二度とない機会だからと快く送り出したのではあるが、こんなに寂しくなるとは考えてもいなかった。

情けない話ではあるが、妻のいない生活は、全てにおいて違った空間を醸し出してしまうのである。テレビを見ていても、食事をしていても、それこそオナラ一つするのにも味気なさがこの身を覆い尽くしてしまうのだ。

だから、自分のこの11日間を面白おかしくさせるためにと、行動記録を時系列的にパソコンにメモして、孤独感を薄れさせようと試みている。それこそ、朝何時に起きて何時に就寝するかまでを、克明に記録している。夕食は何を何の食材でどのような味付けで調理したかということまで記録している。血圧は正常であるかとか、体重は変化がないかなどとも記録している。

こうした記録をしていると、不思議なことに寂しさも幾分かは薄れてくるようだ。明日は何をしようかなんて計画も頭に浮かぶようになってきた。何もせずに寂しさに耐えようなんてことは、愚かでしかないということらしい。年老いて、孤独に立ち向かう際の一助となりそうだ。

とににかくにも、本音は、妻に早く会いたいというところにある。
妻よ、早く帰ってこーい!


2015年1月17日土曜日

古希まぢか-----

(ベランダのジュリアンを小鉢に)
「古希まぢか、互いの無事を、願うのみ」

同級生などへの年賀状に添えた一句である。
余り年齢にこだわりたくはないが、本当に古希が目前に迫ってきた。

昨年の年末はいろいろなことが多すぎて、ブログの投稿も足踏み状態となってしまった。

「一強に、屈して平和、赤信号」
「せめてもと、共産伸ばした、民の声」
「目隠しの、アベノミクスにまどわされ、
             戦争望むか、選挙民」

考えれば考えるほど腹立たしい選挙結果であった。国民は、実態なき景気回復の虚像に踊らされてしまったようだ。

国民の信任を得たとして、大義なき選挙を挙行した安倍政権は、その驕りの姿を隠そうともしなくなっている。そのオオカミ的本質を現したということだ。
沖縄県民の総意で、沖縄全区(1~4)で敗北させられた安倍政権は、自公政権有利の選挙制度下にあっても沖縄では勝てなかった恨みを、民主主義下ではありえない「無視といじめ」という情けない手段の報復を始めている。上京した沖縄知事との面会を避けたり、沖縄関連予算を大幅に減らしたり、辺野古での強行的工事開始などと、政治家として恥ずべき対応を続けている。
恥を知れ!---である。

今年のおせち料理(煮物)は、じじいである私が作った。
暮れの料理番組を見ていたら、無性に作りたくなってしまい、妻の了承を得て包丁を握ったのである。思うようにはできなかったが、子供たちや孫たちの評判は概ね可というものであったので、私としてはニコニコと言ったところである。

(小6の孫娘の作ったドリア)
泊まりに来た小6の孫娘が、宿題だということで、妻の協力を得て写真のような「ドリア」を作ってくれた。
いつもは、バレーボールばかりに熱中している孫娘だけに、包丁を握る手も危なっかしい限りであったが、何とか最後まで頑張って完成させた。
そこで試食となり早速味わったのであるが、「まあまあ」といった出来栄えであった。でも味はよかったので、次につながる努力であったと誉めてあげたい。

孫娘も、4月からは早や中学生となる。小さい孫たちも二人して小学校に入る。小3になる孫を含めて4人ともみんな元気に育ってくれた。しかし、大きくなったことで、そろそろ孫たちにも相手にされない悲哀を味わうようになるのであろうか?
だとしたら、寂しい限りではある----。