2016年2月11日木曜日

泰然自若と----。

(年賀に頂いた菓子折りの包装紙図柄)
何ともほのぼのとした表情である。この七福神のふくよかさはうらやましい限りでもある。邪気のない笑顔とでも言おうか、本心から購入者の来福を願っているのであろう。---と、このように全ての笑顔を素直に受け止めることができるならば、この世から争い事などはなくなるはずと、思うのだが----。

昨今の閣僚の笑顔には、その裏に何かしらの含みやたくらみが隠されていて、うっかりしているとその笑顔に騙されてしまう。安倍首相にしろ、高市総務大臣にしろ、(他のほとんどの閣僚も)本心を隠していることが見え見えであるだけに、その怪しげな笑顔には、ついつい警戒心を抱いてしまう。困った癖がついてしまったものだ。

リメイク布袋という私のハンドル名は、ブログを始めてから、この七福神の布袋さんにあやかろうとして名付けたものだ。仕事や身体に痛手を被っていた時期と言うこともあって、それらの回復や補修(リメイク)を計る私には、リメイク布袋という名がとてもふさわしく思えたのでそう名付けた。慌てず焦らずのゆったりとした心境で歩いて行こうと思ったからでもある。

その私がである。
急速に現実味を帯びた戦争する国への逆戻りを、阻止できないでいる自身(陣営)のもどかしさと、その危険を多くの人たちに警鐘しきれない焦りから、イライラと地団太を踏んでいるのである。こんなことでは、布袋さんの心境に学ぼうなど、とてもとてもおこがましいことだ。「泰然自若として、焦らず急がず慌てずに」が目標であったはずなのだが、遥か遠くのことであるようだ。子供みたいに「安倍が悪い」と言ってしまえば楽なのであろうが、仮にも古希前ダンシ(男子)の言うことではない。心の鍛えが足りないのだから、鍛えなおす他はないのである。― 嘆くなら、嘆かぬ我に、鍛えよし ― と、言ったところか。

2016年2月8日月曜日

多士済々もいいところだ。

(改修なったベランダで今年も咲いた沈丁花-2/7)
政治家の責任の取り方やその美学には驚かされるものがある。甘利大臣のそれには、開いた口も塞がらない。斡旋も口利きもしないでただどりした賄賂を政治献金だと言いつくろったり、たかり常習の秘書をかばい立てして辞職することが、美学だと思っているらしいのだから恐れ入る。ただただ恐れ入る次第である。

又、そのことを潔い決断だと褒めたたえる自公政権のその腐臭体質にも、おう吐をもよおすばかりである。汚いことこの上ない。その汚濁を浄化すべき、法務大臣には、法律を論ぜず、質問外のことを何十篇も繰り返して、疑惑の同僚議員をかばい立てする人がふさわしいらしい。正義を唱える人は遠ざけられるようだ。内閣法制局長官やNHK総裁と共通した安倍的職務意識が歓迎されているようだ。
半面、マスコミで安倍批判をして正論を吐く名だたるキャスターは、軒並降板の憂き目にあっている。言論弾圧が流行っているらしい。菅官房長官のチェックが厳しいとのことだ。そのうち、何も言えなくなってしまうのか、戦前のように。ばかばかしいにも程がある。

総理大臣に倣って、関係ないことをまくしたてる大臣も優遇されるらしい。
厚生大臣の安倍マネや新しい経産大臣のデタラメ答弁は、安倍政権の優良答弁でもあるらしい。
(本音をむき出しにした安倍首相―2/4)
誠実そうだった中谷防衛大臣は、今では安倍首相そっくりとなり、原発反対を唱えていた河野氏は行政改革大臣就任と同時に原発再開容認へと変節した。命がけでとTPP絶対反対を叫んでいた経産省副大臣は、晴れがまし顔をして道化た和服でその調印式に臨んだ。志操堅固はどこへやらと、その変節ごっこも流行っているらしい。どうやら、自公政権は、変節者の吹き溜まりらしい。

下着ドロをかばったり、言論封殺をもみけしたり、戦争大好きのあんちゃん代議士をそだてたり、汚職疑惑のオリンピック大臣を守ったり、暴言を吐く身内の磯崎議員をかばったりしているので、安倍の周りには、安倍に義理立てしなければならない奴が、わんさかと群れ集まっている。親分!親分には絶対服従しますから、次の選挙もお願いします、と。

鼻声で馴れ合い質問を繰り返,し、憲法9条の改悪を狙う極右の稲田政調会長、ベタベタ寄り添いながら、報道規制を企む高市総務大臣、選挙違反も平気だし島売りも平気な島尻大臣、稲田に追いつけと安倍カラーに染まりたい都知事の元妻議員、と安倍ガールズも多彩で安倍首相もご満悦の様子である。忘れていたが、原発再容認で除染なんて簡単でいいと言った環境大臣もいたんだっけ。とにかく男も女も、お化けワールドも顔負けするぐらいに多士済々である。でも鬼太郎たちの水木ワールドに例えたりしたら、泉下の先生に叱られるだろうな。そんな言い怪訝な奴らは、ワールドには入れないと----。

本音をむき出しにした安倍総理はとても危険だ。だんだんヒトラーの手法が身についてきたようだ。その本性に触れて、憲法改悪には触れないでと頼んでも、無視されるのは公明党。今更、平和ぶっても遅いのだ。そもそもが、公明党が政権欲につかれたからこうなったのだ。その責任は取ってもらおうじゃないか。もう学会だって、だまされないはずだと思うよ。いい加減に目を覚ませ公明党!でも、無理かな。やっぱり、無理だろうな。

2016年1月20日水曜日

トホホである。

(平成28年のお正月料理)
今年のお節料理には、私の作品(煮物)?は入っていない。昨年は、煮物の大半をそれなりに作って好評(?)を得たのだが、今年は一品たりとも並べられていない。それだけでなく食器洗いにさえ参加できなかったのだから、料理好きの私には波乱の幕開けとなってしまったのである。

昨年の暮れ(12/29,12/30)に、私たち夫婦は、娘家族と一緒に千葉の館山に出かけてきた。宿が取れなくて、漁港近くの民宿だったのだが、施設・料理ともに評価するには今一といったところであった。娘夫婦のお誘いなのだから何も言うつもりはないが、首を一ひねりといったところだ。それでも、私は婿殿と釣りができたので、海と戯れて楽しい旅行であった。

その肝心な釣りに関しては、魚がいるのに釣果はさっぱりというもので、小物ばかり数尾という寂しいものであった。もちろん腕前云々というよりは、仕掛けが適合しなかった(?)のだから仕方のないことであった。でも隣の人たちが、アジやタコ、このしろ、クロダイ、キス、メバル、ボラなどをそれなりにあげているのを見るのは羨ましくも情けないことであった。

そんな私に同情してくれたのか、その人たちの一人が、食べるならと大形のボラを一尾恵んで(?)くれた。ボラは捌いたことがなかったので、少し躊躇ったが好意を謝して頂いてきた。そしてそのボラが、波乱の幕開けを呼び込むこととなったのである。

なんのことはない、おいしく捌くはずが自分の指を捌く(切り傷)始末となり、暮れの30日から正月の15日ごろまで水を使うことができなかったのだ。、好評の(?)の煮物もつくれず、お節の一切を妻に任せざるをえなっかったのである。私にとっては残念至極のことであった。子供たちや孫たちから「じいちゃんの煮物は美味しい」と言ってもらいたかったのに----あーあーである。

繰り言/捌いたボラは、意地でもと刺身にして食した。活きがよかったので癖もなくまあまあ美味しかったが、妻は、私が自分の指を捌いたことからかあまりおいしそうには食していなかった。 トホホである。


2016年1月15日金曜日

グーの音も出させない!

(議員会館前で抗議 1/4)
新年を迎えても、安倍自公の暴走は止まらない。1/4から始まった国会審議でも、その独善的態度を改めようとせずに、ひらきなおりと言い逃れに終始し、臨時国会を開かなった憲法違反の行為や、消費税軽減税率の曖昧さ、選挙目当ての3万円バラマキ、心のこもらない慰安婦問題での日韓妥協等と国民を愚弄して憚らない。

新年早々の国会抗議行動では、安倍が本性を露わにして、憲法改悪の目論みを明言したので、その怒りも頂点に達していた。国民に挑戦状をたたきつけたも同じだからである。驕りに任せて「止められるものなら止めてみろ」と嘲笑っているのが窺い知れるからでもある。

安倍がひたすらに憲法改悪に向かっているのに、肝心な野党共闘は遅々として進んでいない。新宿西口での「市民連合の初集会-1/5」も、私には期待したほどの盛り上がりが感じられなかった。

それは、政党、特に民主党の本気度が感じられなかったからだ。憲法学者の小林節氏や中野晃一氏の言う通り、今は、政策の違いがどうのこうのを言っている場合ではない。この国が、戦争への道に確実に踏み出したという事実を重く考え、危機は目の前に迫っていること、事態は緊急を要していることを、全身で受け止めるべきなのだ。一党のみの利益に縛られている時ではない。いい加減にしてほしいと思う。

(北朝鮮の妄動ぶりを伝える新聞-1/7)
北朝鮮の妄動は、日本の軍国主義復活への口実を与えかねず、サウジアラビアとイランの対立も中東介入という機会を、安倍政権に与えようとしている。狡猾な安倍政権が、この機を逃すはずはない。にもかかわらず、最大野党の民主党は、事態の本質や深刻さを勉強しようとせず、党内派閥の思惑に左右され続けており、ただただ情けない姿を晒すのみである。しっかりしろ民主党!身を捨てる覚悟で安保法案に対処しろ!民主党主導で勝てるとでも思っているのか----。

今や、自民党ばかりでなく、大阪維新やその他の反動どもまでもが、憲法改正を叫んで国民をだまそうとしている。と言って、このままの事態を見過ごすことはできない。こんなはずではなかったと慌てふためく公明党はすてておいて、私たちは、戦争反対で一致できる全勢力を結集させる必要がある。そして、60年安保を上回る、一大闘争を展開をさせなければならないと思う。それこそ、「100万人規模の国会包囲デモ」等を組織して、反動勢力にグーの音も出させない一大抗議行動を起こすべきだと思う。ぜひにでも実現させたいものである。


2016年1月1日金曜日

申年は、暴れ年?

(今年の干支のサル君です。)
明けましておめでとうございます。
と、手放しで祝うことができるかどうか不安な情勢となっている。

証券業界には、申年は暴れ年になるとして注意を呼びかける向きがあるようだが、安倍自公に壟断されているこの国の前途はいかがなものであろうか。

年末のあわただしい「日韓劇場」は、歴史のゆがみをただすものとは程遠い、被害者を置き去りにしたご都合主義の政治決着パフォーマンスであった。厳に、被害者の元慰安婦たちの激しい抗議行動に見舞われ、その曖昧さを両国民の前に露呈した。

ここのところの安倍政権の行動は、すべてが7月の参議院選挙に向けた票獲得のための欺瞞的な行動だ。そこには、国民の思惑や意思は存在してはいない。あるのは、この参議院選挙で、憲法改悪を推し進めようとする邪悪な企みだけである。国民を、表面的なもので釣り上げようとする、姑息で陰険な政治手法の連続でしかないのだ。

愚かでお粗末な公明党でも、安倍自民の企みに気づかないはずはない。それなりの見識を持ち合わせてはいるはずだから、内心では慌てふためいているに違いない。それでも、彼らは、安倍自民とは袂を分かつことができないと思う。なぜなら、彼らにとって権力とは、麻薬にも似た甘い蜜のようなものとなっているからである。今の公明党は、学会などの支持者から、手ひどいしっぺ返しでも食わない限り目覚めることないと思われる。それほどまでに、権力の亡者となり果てているのだ。もはや、期待はできないし、すべき存在ではない。

この年が、例え暴れ年と言われようと、私たちは乗り切っていかなければならない。乗り切って、安倍自公を必ず倒すのだ。そうしなければ明るい未来は望めないし、孫たちに胸を張って平和を語れななくなってしまう。見ザル、聞かザル、言わザルとなって、負けザルなんかになるものか!........である。

2015年12月28日月曜日

来年こそはである。

(抽選で手に入った整理棚-12/27)
この年ほど、イライラとさせられた年はなかった。この年ほど、不安にかられた年はなかった。一年を通して、じりじりさせられてほんとうに落ち着けない過去最悪の年であった。ゼット旗がやけに目につく戦争回帰への不毛な年でもあった。

みんな自公政権のせいだ。立憲主義を犯して、平和憲法に泥を塗りつけた、反民主主義勢力のせいだ。とんでもない戦争法案を国民に押し付けて、軍国主義復活を企んだアメリカ追従者たちのせいだ。

こんな年の最後に、私にとっては幸運(?)な出来事が訪れた。小さな喜びに過ぎないのだろうが、写真の植木(花)用整理棚が手に入ったのだ。区のリサイクルセンターに申し込んでいたものが、抽選で7倍の難関をクリアして手にできたのである。

クジ運が悪くて、これまで何度も落胆を味わってきただけに、こんな小さなことでも私にはとてもうれしいこととして、受け止められるのだ。たかが、500円という低価格のものであってもである。とにかく、抽選に当たったという事実が何よりもうれしいのである。ちなみに、写真奥のキャスター付き移動棚もリサイクルセンターで、申込者なし備品の処分品として取得したもので、とても重宝している逸品だ。マンションの改修工事に合わせて取得できたので、運が向くのでは?などと勝手に喜んでもいる。

(12月19日の集会/於:ほくとピア)
2枚目の写真は、12月19日に開かれた「自衛隊員を戦場に送らせない」ための集会を撮ったものだ。北区のほくとピアで開かれたもので、会場に入りきれない程の盛り上がりで、その熱気は、民主勢力今だ健在を知らしめるものであった。

参加者の誰もが、安倍自公政権への怒りを露わにしていた。怒り心頭といったところである。暴走を続ける安倍内閣への危惧は、今や戦争への直結が感じ取れるまでに具体化してきた。

戦前に戻ろうと画策する連中は、メディア攻撃も露骨になり、正論を貫く者たちを、個別攻撃の方法をもって排除しようと躍起になっている。情けないことに、その動きに与する読売・産経・日テレ・フジなどの右派メディアは、政権と一緒になってその謀略に積極的に加担している。TBS・テレ朝・毎日・朝日などの経営首脳陣は、すでに屈服の姿勢を示しており、この国の未来を暗澹とさせてしまった。

だからといって、負けるわけにはいかない。戦争なんてまっぴらである。市民の力をもって、必ず阻止して見せる。市民の力を侮るなかれである。当たったことのない、抽選にもあたったのだから、来年は必ず良い年にしてみせるぞ。



2015年11月30日月曜日

右へ右へと----。

(昭和40年代の冬の郷里―会津磐梯山を臨む)
写真は、昭和40年代初めのころの冬景色である。遠くに磐梯山を配した雪景色は得がたいものであった。
この風景は、高校卒業を目前にした雪解けの時期であったろうか。就職で上京する私にとっては、名残の尽きない景色となって、今も心の奥深くにしまわれているものだ。

「戦争はとてもいけないものだから、先生たちは反対しているんです。」「あなたたちを戦場に送り届けたくないから、声を上げているんです。」
60年安保闘争の時に、小6だった私たちに話してくれた先生の言葉は、今もこの耳に残っている。

「君たちは、アカと言って揶揄するけど、アカってどういうことを指して言うのか知っているのか。」
「アカは働く人たちの尊い血の色で、働く人たちのために闘う象徴的な色でもあるんだよ。」
高校3年の時の国語の先生の話は、胸に響くものであった。何も知らずに、粋がってその先生をアカ呼ばわりした恥ずかしさが思い起こされてならない。

私たちの学んでいた昭和の30~40年代は、先生たちとの会話はある程度自由であった。だから、先生たちの一言一言は、それなりに私たちの心に染み入るものが多かったと思う。先生たちもまた、子供たちをどう教育しようか、子供たちの未来をどう守っていこうかといった姿勢を、前面に押し出していたと思う。そうした中での信頼関係は、その後の受験一辺倒に走ったお仕着せ教育とは違って、人間的な血の通いあいを感じさせたものであった。

(3年前の孫の入学式―H13.4)
2枚目の写真は、2年前の孫の入学式の写真である。その時の印象は、このブログでも書いたように形式ばったもので、国旗掲揚や国歌重視といった側面が見え見えで、孫たちの将来に暗澹たる思いをさえ抱いたものであった。

最近の自公政権下における、国家的圧力による政治的右傾化は目に余るものが多く、その急速な押し付け政策には、目を覆うばかりである。

報道機関への圧力はもちろん、右翼組織を利用しての歴史の修正をはじめ、教育への介入によってつくられつつある戦前回帰への道徳普及、自衛の名目による戦争準備への強化など、あげたらきりのない押し付けぶりである。

それも、秘密保護法の制定や、軍事産業への加担、戦争法案の強行突破など、虎視眈々として軍事国家再生をめざす下準備をした上でのことだけに、悪質も極まりないものである。

国民よ目覚めよである。沖縄では、民主主義も人権も国家の名のもとに犯されているではないか。機動隊を派遣までして沖縄県民を弾圧しているではないか。見過ごしていけないのだ。この国が右へ右へと傾いていくのを見過ごしては、絶対にならないのである。

2015年11月22日日曜日

負けてたまるか!

(マイナンバー配布の不在通知―27/11)
かっての赤紙(召集令状)でもあるまいに、赤色の不在通知書とはなんとも縁起が悪い。借金や滞納税の督促状でもなかろうに、感情を逆なですることこの上ない通知書だ。

最初から、このマイナンバー制度については異論が多かったが、国民を管理下に置こうとする自公政権は、国民の了承を図ることもなく遮二無二推し進めようとしている。安保法制下の国づくりのために必要だかろうか。国民をなめるのもいい加減にしてほしい。

案の定、不在通知書を受け取っても郵便局に出かけない人たちが多く、通知書が役所に戻されているということだ。当然のことだと思う。自分たちを管理束縛するためのものに、積極的に協力などできるはずがないではないか。

このままの状況が推移すれば、マイナンバーを保持しない国民が、数百万人にも達するかもしれない。そうなったら、国家的一大事であるはずだが、それでもそのまま見切り発車することになるだろう。将来に禍根を残そうとも、政府の狙いが、国民総背番号による国家統制にあるのだから、強引な押し付けをやめることはないと思われる。

(辺野古での政府欺瞞を伝える東京新聞―27/11)
安保法制化の軍事国家には、国家統制のとれる財政的裏付けがどうしても必要だから、いいも悪いもなく国民から搾り取る姿勢を強めることは間違いない。それが自公政権の本質なのだから。

私たちは、産軍一体の国家方針で戦争を遂行し、国民に塗炭の苦しみを与えたあの軍閥政治を忘れてはならない。
秘密保護法のもとに、国民の目と耳をふさいで戦争に突っ走ったあの暗黒専制政治を忘れてはならない。
産学一体の名のもとに、軍事教育を敷いて軍事開発を促し、前途洋々たる学生を愛国の名のもとに戦場に送った、あの明治外苑での狂気の行進を忘れてはならない。
そして、かっての軍閥体制下で、私たちの父祖が、どのような抑圧下で戦前戦中を過ごしたかを、思い起こさなければならないのだ。

今まさに、すぐそこに危機は迫っている。フランス・パリでのテロ事件を契機に、安倍政権は、かってのような言論弾圧を企んで、「共謀罪」の再提出をさえ目論んでいる。一挙に軍事体制を作ってしまおうという考えだ。「日本会議」なる右翼組織が、憲法改正を叫んで蠢動していることもその一端だ。ネット右翼などはすでにヒステリー状態となっており、ハイルヒットラーを彷彿させている。

日本人は、正邪の判断によらず感情に流されやすい。そのことが、反テロを口実とした専制国家体制づくりに利用されようとしている。軍国坊ちゃんたる安倍は、今をチャンスと翼賛体制を築こうとしている。本当に、危険極まりない情勢だ。

私たちは、心して自公政権を監視しなければならない。戦争への道を、なんとしても阻止しなければならない。そのためにも、戦争反対の闘いを絶え間なく続ける必要があるのだ。暴走政権の圧力によって、正論は押しつぶされようとはしているが、必ずや勝利すると私は確信している。正義が負けるはずはない、負けてたまるかである。

2015年11月18日水曜日

存在意義なし?

(H26/11の京都旅行―「絶景かな」の南禅寺)
腰を痛めてのたうち回っている時に、情けないニュースが飛び込んできた。あまりなまでの不快感に腰の痛みが増幅されてしまった。

それは、細野豪志・前原誠司などが、本音を露にして民主党年内解党論をぶちまけたからだ。前々から分派的行動を続けていたので当たり前といえば当たり前であるのかもしれないが、それにしても、タイミングを計ったようなその行動には、顰蹙を通り越して政治家としての良識をさえ疑わざるを得ない。正直、バカじゃないのといったところだ。日本をどうしたいと思っているのか。

彼らは、立憲主義・民主主義が犯されている今の危機的現状を、認識できていないのであろうか。先の延長国会で明白となった、自公政権による平和主義への挑戦を、本当に理解しているのだろうか。

理解していないのだとしたら、民主党員としてこれまでとってきた彼らの行動は、単なるパフォーマンスでしかなかった言うことだ。戦争反対!民主主義を守れと訴え続けた大多数の国民を裏切り続け、破壊者自公政権を裏から助けていたと言うことだ。平和を求める多くの国民をだまし続けてきたということだ。

共産党とは相いれないだとか、理想とする民主党の党是に反するとかを理由にして、戦争勢力と対峙する勢力の大同団結をつぶそうとして躍起になっているあんたたちは何者なのだ!民主勢力の内部分裂を図る政権側の回し者だったということなのか。恥を知れ恥を!戦争の危機が迫っている時に、今あなたたちのやろうとしている行動は、かっての翼賛政治家の行動そのものだということが分からないのか。

あなたたちに民主的政治家を名乗る資格はない。民主勢力一員としての存在意義すらもない。そんなに権力に縋りつきたいのなら、さっさと自公勢力側にすり寄っていけばいい。私たちには必要はないのだから。
石川五右衛門は、アンチ独裁を叫んだと言われている。あなたたちも、少しは見習うがいい!



2015年11月15日日曜日

とにかく痛かった!

(秋の味覚・柿/練習画題模写)
<ギックリ腰で大騒ぎ>

朝目覚めた時に、なんとなく腰に違和感を感じた。布団を押し入れにしまったあたりから、鈍い痛みのような感じがあったけど、それほど気にするほどの痛みではなかった。

朝食をとり食器を洗おうとして中腰になったら、徐々に腰の痛みが強くなってきた。それこそ、徐々に徐々にである。あれあれという言う感じで腰が固くなってくるのが感じられて、これはやばいことになりそうだと急いで食器を洗い終えた。別にギクッとしたことがあったわけではないのに、このころには歩くのが辛いぐらいの痛みに変わっていた。余りの辛さに畳に横たわったら、妻が心配して声をかけてきた。

冷やしたら楽になれるかもしれないと、薬箱から「冷えピタ」をとりだし痛い部分に貼った。ひんやりした冷たさに幾分か痛みがやわらいだので、そのまま横になって少し眠った。眠りから覚めてからは、痛む腰をさすりながら、いつもの日常に戻った。―10/24(土曜日)―

浴槽に入って温めては悪いのではとの妻の言を受けて、シャンプーと髭ぞりだけを済ませて就寝したが、なかなか眠られずに何度も寝返りを繰り返した。ところが、その寝返りが思うに任せなくなってしまい、トイレに起きだすのも一苦労になってしまった。体全体が硬直した感じになってしまったのだ。これはかってのギックリ腰と同じ状態だった。そこで、腰をゴムバンドで押さえて腰にかかる負荷を減らすことにしたが、そんな対応は一時しのぎでしかなく、とうとう身動きができない状態になってしまった。


(野菜/練習画題模写)
 それでも痛みに耐えながら、湿布薬や痛み止めの薬で火曜日まで我慢したが、翌日の「日帰り同級会」に参加するかどうかで悩むことになった。と言うのは、同級会を日帰りにすることにしたのは、私の要望であったからだ。その私が参加しないとは言いづらかったのである。

<無理をして同級会に>

今年の同級会(小中学校時代)は、巣鴨のレストランでフレンチのコース料理を楽しむという趣旨のものであった。安くて美味しいとの評判だとのことでとても楽しみにしていた。併せて近くの巣鴨地蔵尊にお参りしようとのプランでもあった。

巣鴨であれば、私のところから地下鉄で30~40分のところであるから、少しぐらいの無理は大丈夫だろうということで無理を承知で出席した。そして、コース料理を楽しんだり、お参りしたり、カラオケをしたりと、痛い腰をさすりながら同級生と旧交を温めてきた。

<痛み止めの注射を何か所にも>

楽しみの後にはなんとやらで、その夜から、トイレで紙を使用できないぐらいの状況に陥ってしまった。本当に這うような具合であった。翌日(木曜日)には、とうとう我慢が出来なくなってしまい、何とか病院にたどり着いて診察を受けた。レントゲンで腰を撮ってもらったら、先に痛めていた部分がさらに変形しているとかで、絶対減量を仰せつかってしまった。不節制の報いだとなじみの医師に笑われてもしまった。あげくは、背中からお尻にかけて、何か所も痛み止めの注射を打たれたのである。

今日(11/15)に至って、ようようにして痛みも薄れたが、なんとも辛い二十日間余りであった。わかっていても不節制してしまう自分のせいなのではあるが、なんとかならないものかと愚痴ってしまう自分でもあるのであきれているところである。

減量は一日にしてならないのである。肝に銘じよ!だ。









2015年10月31日土曜日

絶句!

(玄関の靴入れ横の避難グッズ/二人分)

  • 辺野古にて
                     いくさの顔を
        
           さらす安倍
  • 安倍露骨
        いくさのための

           自治破壊

  •  へのこ海
        自公の泥で

           汚されん

  •  安倍自公
        自治も平和も

           もくずにと

別に安倍の独裁政治から逃れるために、写真の避難グッズを用意したわけではない。居住するマンションの大規模改修に合わせて置くようにしたものだ。震災時に、夫婦が一緒に行動できるかどうか不確かなので、とりあえず二人分を用意した。実際のところ、いざその時には慌てふためいて、用意したグッズを持ち出せるかどうか自信は持てないところではあるのだが........。

さて、上記の川柳ではないが、安倍政権の暴走ぶりは狂気の沙汰といっても大げさではない状況になってきた。まさに、絶句!する意外に表現のしようがない状況である

おりしも、南シナ海では、アメリカが中国に対して無用の挑発を繰り返そうとして、集団的自衛権の名のもとに日本を戦争に巻き込もうとしている。これぞといわんばかりに、舌なめずりする戦争好き安倍政権の思惑が見え見えで、腹だたしいことこのうえない。

フィリピンと軍事同盟を結んでいるはずのアメリカが、中国の横暴を今まで許してきたことを棚に上げて、さも緊急事態であるとか、国際法に抵触するだとかで今更騒ぎ立てるなど、アメリカとの軍事同盟とやらの頼りなさを露呈したということに他ならないと思えるのだが、いかがであろうか。少なくとも私にはそう見える。

尖閣諸島における対応においても、同様に騒ぎ立てるのみで、我が国のためになす集団的自衛権に基づく行動は当てにできないであろうと思う。アメリカが緊張を煽り立てて、自衛隊が巻き込まれていくという構図が予見されて不安である。それも安倍自公にとっては計算ずくのことであると言うことなのであろうか。

(荒川の土手で見つけたおんぶバッタ―白はティッシュ)
戦争の危険がますます身近に感じられる昨今ではあるが、自然はそんなことに関わりなく時を進めている。

写真は荒川土手を散歩している時に見つけた、生存のための営みの一コマである。子供のころは、おんぶバッタ(イナゴの場合も多い)だといってわけもわからずに引き離したりしたが、さすがに今ではそんな無慈悲なことはしようとは思わない。

愚かな政権の下で、死の灰に見舞われる危険を感じつつも、自然のゆったりとした歩みを、穏やかに見つめるられるよう、そうした余裕を私は保ちたい。

安倍政権打倒!


2015年9月18日金曜日

くやし涙を忘れまい

(最後の一匹も死んだ 9/17)
一匹だけ残って頑張ってくれた金魚が死んでしまった。水槽を軽くたたくと、餌を求めてパクパク口を開けながら寄ってくる姿はもう見られない。

同じ日、日本の民主主義と平和主義は、立憲主義を破壊しポチアメリカを求める輩の手によって、消しようもない汚点をつけられてしまった。

テレビ中継から流れる異様な映像は、この国の民主主義がどのようなものかをまざまざと知らしめるものであった。そして、それを中継するテレビ局の解説者のコメントも耳を疑うもものの繰り返しであった。

NHK,日テレ、フジテレビは政府の御用達ぶりを競ってか、事実認識の甘さと論旨の曖昧さをが特に目立ち、白を黒と言いくるめるその報道ぶりには怒りをさえ覚えた。私は、即座にNHKに抗議の電話を入れた。もちろん氏名を明らかにしてのことだ。多くの抗議があったのか、なかなか接続できなかったが、思いのたけを述べて抗議した。

(9/15の国会前の抗議集会で見つけた落選させたい議員の
             写真一覧-公明党参議議員の箇所)
9/15夕刻から、私たち夫婦は、何度目かの抗議デモに出かけた。左の写真は、その際見つけた、「安保法制に加担して日本を戦争国家へと導く参議院議員一覧」のうち公明党の箇所であった。今や反対運動の高まりは、抗議行動を突き詰めて、国家に仇名す議員の落選運動へ発展していることを示している。当然のことと思う。
こうした国民の声を無視した与党議員に対しては、選挙で厳しい審判を下すことが天命であると私は思っている。

9/17のテレビ中継を見ながら、私はその憤りから、悔し涙が流れ出るのを止めることができなかった。そうした私を、妻はただ何も言わずに見つめていてくれた。同じ思いであったと思う。

数の力に対抗できないでいる己の微力さを思うたびに、何もできないもどかしさを味わうたびに、涙はとめどなく溢れた。口惜しい、たまらないこの現実を目にしなければならないことが限りなく悔しい。

黙ってなどいられない。シールズの若者たちが言っていたように、この仕打ちに対しての返答は必ずする。おごるなよ自公政権、必ず鉄槌を下してやる。国民をなめるではない!このくやし涙は決して忘れないぞ。

2015年9月9日水曜日

恥知らずもいいところだ

(だるまさんも怒っている)
(この声を無視するのか!)
もはや自民党は政党とは言い難い権力にしがみつく政治屋集団になり果ててしまった。「安倍親分」にどう忠誠を示すかと、揉み手しすり寄る様は、見苦しくもあさましい限りである。

同じ与党の公明党も同様に、自称平和の党から自民におもねり尾をふる「自民党のポチ」へと大きく変貌してしまった。

総裁選の朝に、安倍におもねる自民議員が、安倍を励ますとして、餌待ち顔で集結した。ポスト狙いが見え見えで恥ずかしいことこの上ない。まるで、安倍大明神を祭る「大政翼賛会」の結成式といった具合だ。

一方の公明党も、支持母体の学会信者の一部から、安保法制に対しての異議をつきつけられ、その真摯な声に耳を貸そうともしないで、山口委員長に面会を求め反省を促す代表を玄関払いとしてしまった。それも雨の中、4時間余りも立たせたまま警備員に対応させるといった、非人道的な恥ずかしいものであった。自分たちを長年にわたって支え続けた支持者への対応として、心の痛みを感じえないのであろうか。

あの麻生大臣が、消費税の扱いについて、値上げに伴う低所得者への救済策として、酒を除く食料品に関しては2%の軽減税率を適用するが、一律減税ではなくマイナンバーカードを使っての還付税方式を採用するなどととんでもないことを言い出した。減税ではなく還付してやるといった頭ごなしの上から目線の対応である。あげくは、カードを使わないのは勝手だが、減税の恩典を放棄するものだと、低所得者をなめ切ったえげつない放言までしている。マイナンバー制度の普及利用を露骨に示しながらである。公約違反など何らの反省もしていない。

「安保法制」の委員会では、防衛省制服組トップの違憲資料の開示を、求められた同一のものは存在しないとして提出を拒絶され、委員長以下自公及び同調委員によって了承してしまった。シビリアンコントロールの根幹を揺るがす問題を、党利党略で覆い隠すなど到底許されることではない。真剣に国民の幸せを考えていないという証拠を示した言うことだ。それだけではなく、審議打ち切りも日程に上らせた。国民の疑問にも答えずに、国民の納得も得ずに審議を打ち切って強行採決に及ぼうなどは、暴挙以外の何ものでもない。

恥を知れ、自民党! 国民に謝罪せよ、公明党!与党を助ける「二世代、新党改革」の各党も裏切りを反省しろ!肝心な時に分党騒ぎを起こした橋下とその一派はその罪を悔い改めよ!

本当に恥知らずもいいところである。


2015年8月30日日曜日

安倍政権「打倒」の声を大にして!

(この日が独裁政治を決定づけた)
右の写真は、2012/12/17付の新聞である。
私は、この選挙結果から暗澹とした未来が予測されて、その不安をこのブログで示した。そして、こうした選択をした自分を含めた国民の愚昧さを嘆いたものである。

2015/8/30の今日、もはやファシズム化して戦争へと突き進む安倍暴走政権に対して、私たちは行動をもってその前面に立ち塞がった。ストップ・ザ・安倍政権、戦争阻止、立憲政治を守り憲法9条を破壊させないためにと立ち上がったのだ。

東京だけではない、全国のあちこちで、日本の平和を守るためにと、抗議の一斉行動をすることになっているのだ。私たち夫婦は、国会大包囲のデモに加わるために、これから出かけようと準備しているところだ。大声を出して、精一杯に安倍政権打倒のために頑張るつもりである。 ―午前中はここまで―

(抗議活動開始前に、伊豆から参加された方に撮ってもらった)
午後から、小雨降る中を国会での抗議活動に出かけた。私たちは、日比谷から徒歩で向かったのだが、1時間30分前だというのに、歩道はあふれんばかりの人波で、正門前にたどり着くのも大変であった。

地方からの参加者も多く、知らない者同士でもすぐに打ち解けて話し合うことができた。左の写真は、そうした中で撮っていただいた1枚である。

抗議活動は、空前の参加者で国民の意思を安倍政権にたたきつけるものであった。最初、抗議活動を国会周辺の歩道内に留めようとした警察権力の企みも、参加者のあまりなまでの多さに押されて、正門前車道での活動を余儀なしとせざるを得なかった。当然のことである。時の政権への抗議活動は、国民としての侵されざる権利そのものであるのだから。

(国会前車道を埋め尽くしたデモの波 8/30午後)
自民党の谷口幹事長は、衆議院の強行採決に抗議する市民活動を、60年安保に比べたら大したものではないと鼻であしらった。今日の抗議活動を見ても同じセリフをはけるかと聞いてみたいものである。

恥知らずの強行政治を続ける自公政権のことだから、おそらく参議院での強行採決を図ることは間違いない。そのためにと、野党分裂をもくろんで下準備した、橋下と組んだ出来レースの「維新の分裂騒ぎ」を利用することは明々白々のことである。

だが、国民を馬鹿にしてはいけない。そんな企みを許すはずがないではないか。数の力で一時は押されても、選挙での懲罰という国民の力が働くことを覚悟しておくことだ。なめるなよ安倍晋三!

2015年8月29日土曜日

明日(8/30)は国会に行くぞ!

(一番上の孫娘中学1年生になりました。)
夏休みということで、一番上の孫娘が2泊3日で私のところに遊びに来た。早いもので、写真の孫娘ももう中学1年生にもなっている。

孫娘にとっては、私のところは息抜きできる場所であるらしく、だらだらと漫画の本を読み漁っていてはばあさん(妻)に叱られていた。それでも、一緒に買い物に行ったり、宿題の料理をしたり、川遊びに行ったりと、結構楽しんでいたようだ。

少しだけだけど、そんな孫娘と戦争について話し合った。もちろん、バレーボールばかりに熱中している子だから、なかなか話はかみ合あわなかったが、戦争してはいけないということは理解できたようだ。

今の安保法案についても、少し話してあげた。何故、じいちゃんやばあちゃんが反対しているのか、何故、国会に反対デモを続けているのかを、私なりの考えで話してあげた。押しつけがましくならないように、へたな先入観にとらわれないようにと結構気を遣いながらだ。

今、私たち夫婦は、毎日の様相について神経質なくらいに注意を払っている。それだけ、危険が差し迫っていると肌に感じているからだ。大きく右に傾いたマスメディアの動きが急激であればあるほど、安倍体制の悪あがきが差し迫っていて、暴挙は間近だと身震いするぐらいに感じていからだ。

可愛い孫たちに、戦争の惨禍をあじあわせてならない、この孫たちと住む日本を、戦争をする国・出来る国にさせてはならないと、私達夫婦は国会に押しかけている。私達にできるせめてもの行動だと思っているからだ。

明日は、大きな山場となる8/30の全国的な一斉行動日だ。雨の予想も出ているが、何が何でも出かけようと思っている。

2015年7月20日月曜日

天罰は下される!

(自公の暴挙を伝える朝日新聞 7/16)
何と言ってよいのかわからないほどの激しい怒りを覚えている。ジッとしているのがもどかしいほどの怒りである。

2015/7/15は、わが日本国の民主主義が破壊された忌まわしい日として記憶されることと思う。そして、2015/7/16は、日本の国会が立憲主義から逸脱した自公勢力にジャックされた日として記憶されることと思う。

安倍独裁に脅えて言うがままの自民党議員、政権にしがみつくことを党是としてしまった公明党幹部、その幹部に盲従する公明党議員。そうした醜い勢力に国会は乗っ取られてしまった。

国民の安保法制に反対する意志を無視して、戦争への道に踏み出したこの輩は、どのように弁明や言い逃れをしようともその罪からは逃れられない。特に公明党幹部に至っては、平和を希求する純真な学会信者を裏切ってまで自民党と歩調を合わせたのだから、その罪の深さはたとえようのないものである。

本会議での締めの討論をした公明党遠山議員のあの姿を異常だと感じた国民は多かったのではなかろうか。その論理は押しつけがましく、戦争することの意味すらも感じていない盲信と言ってよいほどの米国追従姿勢。国民の目には、いや創価学会信者の目には、自民党以上の強硬姿勢として映ったのではなかろうか。

(日比谷野外音楽堂での抗議集会 7/15)
自衛隊員のこれまでのPKO活動を軍事活動と混同させたり、その成果を安保法制反対勢力は評価していないなどと話をすり替えたり、自衛隊員の命を軽視している自分たちの主張にも気づかず最も危険な後方支援を正当化したりなどと支離滅裂も甚だしいものであった。

かってのベトナム戦争やイラク戦争で大義なき侵略戦争をしかけたアメリカへの追従が、どれほどの犯罪行為なのかなんて何も考えてはいない。そのアメリカの軍事力の衰えを、カバーさせられる危険性に気付いているのかいないのか、法案の本質から目をそらして与党の位置にしがみつこうとしている。とても平和の党などと称せる姿ではない。もし、天罰というものがあるとするのなら、彼らの頭上に下されることは間違いないことと思う。
(抗議集会の後の国会請願デモ 7/15)

国民をなめんじゃないぞ公明党!
学会信者をなめんじゃないぞ公明党!

(この投稿は、7/16、国会で強行採決された直後の怒り冷めやらずと言った心境のまま記述)

(夫婦で抗議集会に参加-3度目-7/15)

2015年6月28日日曜日

あるがまま精一杯に

(68才を迎えた自画像)
憂いを含んだ自画像となってしまった。
6月16日は、私の68回目の誕生日であった。昨年の誕生日には、子供たちから忘れられて憤慨し、このブログで愚痴っていたが、今年は、忘れられることもなくそれなりに祝いの言葉とプレゼントをもらった。

だから、笑顔での自画像となるはずであったが、誕生日の前日に郷里から義姉(亡長兄嫁)の逝去の知らせが入ったので、こうした顔となってしまった。

義姉は、5年前に蜘蛛膜下出血の大手術をして奇跡的に回復し、昨年からは自動車の運転ができるまでになっていた。その義姉が、蜘蛛膜下出血の再発ではなく、肝臓がんに侵されて肝硬変を起こして旅立ってしまった。

そのがんの要因は、50年余も前に帝王切開手術をした際の輸血だったのではないかということであった。C型肝炎に感染していたようだというのである。何とも割り切れない話であった。5年前の手術後には定期的に検査を受けていたのだから、もう少し早く発見できなかったものかと残念でならない。肝硬変を発症してからは、余命1カ月以内との診断を下され、本人は何も分からないままに75才で鬼籍に入ってしまったのだから、人の一生なんてものは本当に分からないものである。

(9才を迎える孫の凛太朗)

ここのところつかれたように似顔絵を描いている。
デッサン力がないので、思うように描けないでいるがなんとか画き続けている。妻はもちろん、二人の子供たち、4人の孫たち、亡くなっている両親や妻の母親をも画いた。

孫たちからはあまり似ていないと評判の方はあまり良くない。同じ団地の知人からは金にならない絵描きだなんて笑われているが、その人にも押しつけでモデルとなってもらった。お礼だと言ってイナゴの佃煮をもらったりして、結局は迷惑をかけることとなってしまったのだから、困った迷絵描き?である。

義姉の葬儀に帰郷したので、懐かしい顔ぶれと再会でき、こんな折にしか会えないのは残念だなどと、不遜ではあっても懐かしい思い出を話し合った。

私自身も68才を迎えたのであるから、おじさんおばさんもほとんどが亡くなってしまっている。そんな中で、私の親父の末の妹が90才で元気な顔を見せてくれたので、とてもうれしい思いでいっぱいであった。私の両親に直接繋がる只一人の現役おばさんなのである。

(ただ一人となった90才のおばさん)
私は次兄と一緒におばさんとの再会を喜んで一緒に笑顔の写真を撮った。葬儀の後でのことであったが、少々後ろめたい思いで笑顔をカメラに向けた。そのおばさんの似顔絵も、帰宅してから写真をもとにして描いた。

上手ではないが、おばさんに贈ろうと思っている。私の妻は、このおばさんの様に歳を重ねることができたらいいなどと話している。そうしたコメントも添えて写真と一緒に送るつもりでいる。喜んでもらえるとうれしいのだが---。

人の一生は思わぬことの連続であるようだ。
義姉の死はそのことをつくづくと考えさせてくれた。だから、私たち夫婦は、これからの人生をあるがままに精一杯に生きて行こうと考えている。そして、私たちの存在そのものが、周りの人たちの喜びとなれるように生きて行こうと再確認もしている。

2015年6月27日土曜日

暴走は許さないぞ!

(6/24の安保法制反対行動)
6/24 安倍政権の暴走を止めようと多くの人たちが安保法制反対を叫んで国会を包囲した。私と妻もその包囲行動に参加した。

日々にもたらされる安保法制に関する情報は一刻の猶予も許されない事態を示している。大げさではなく、この国の民主主義は破壊され戦前のような戦争をする国へと変貌させられようとしている。

自分達の意志にそぐわないものには耳をかそうともしないで、何が何でも違憲の法案を通そうとする姿は、かっての軍事国家の独裁的な指導者を彷彿させる。安倍首相の顔つきが、かのヒットラーに重なって見えるのは私だけではないのではないか。

60年安保、70年安保の闘争の時にはこの国会前にはあふれるほど人達が集まった。その規模は正に空前絶後というにふさわしいものであった。国民の意思が行動によって示されていたのだ。私は決して過激な行動をあおるものではないが、スマートフォンにかじりつくばかりで無関心極まりない多くの若者を見るたびに、この国の民主主義はどうなってしまうのだろうと不安に陥れられてしまう。若者よ目覚めよそして奮起せよである。

昨日今日のニュースでは、自民党若手議員の傲慢ぶりが、右翼作家百田氏の言動と相まってその不遜ぶりが報じられている。自民党・政権の意にそわないマスコミは潰してしまえと言う乱暴極まりない傲慢ぶりである。かって、若手軍人が先走って国を暴走させた行動にそっくりではないか。
その暴走をたしめるばかりか、言論の自由だからと容認してしまう安倍首相にはもはや民主主義を語る資格さえもも有しない。恥を知れである。

考えれば考えるほど腹だたしい昨今である。
とは言え、腹を立てているばかりでは暴走を阻止することはできない。この国を戦争へと導こうとするすべての勢力に対して、強烈な反撃をしなければならないと思う。今の私でできるあらん限りの行動をとらねばと思う。もちろん、非暴力の行動をであるが、ターゲットを絞って反撃しようと思っている。負けてたまるかである-----。

2015年5月28日木曜日

戦争阻止のために!

(横浜の臨海公園での大集会 5/3)
私がこうした集会に参加するのは、二十数年ぶりであろうか。

戦争への危機感からじっとしておられずに、5月3日の9条の会などが主催する「9条を守れ、戦争反対、原発廃止、沖縄の辺野古基地設置阻止」等の平和を求める大集会に参加してきた。当然に妻も一緒である。

安倍の暴走ぶりは目に余る。このまま放置していれば、日本は間違いなく戦争する国になってしまう。そうした危惧を抱いた人たちが、このまま見逃さないぞとして集まった。主催者発表で35,000人だという。

壇上に立った人たちは、大江健三郎氏を筆頭に声をからして今の危機を訴えていた。従来の学習会的なものでなく、阻止のための行動を求める訴えであった。数の論理から民主主義が破壊されようとしている中、訴えは心に響くものであった。じっとしてはおられない、とにかく行動しなければと大いに励まされる集会であった。

この集会で、私は思いがけない巡り合いをした。
事業の失敗で迷惑をかけてしまい顔を合わせずらくて疎遠となっていた御夫婦に、その会場でバッタリと出会ったのである。35,000人の人ごみの中での再会である。本当に奇跡的な再開にお互いに驚いたり喜んだり懐かしがったりと感慨もひとしおであった。

そのTさんご夫婦も、私たちと同様にじっとしておられずに出かけてきたとの事であった。心強い同志との再会であった。平和が脅かさていることを実感している人たちは、本当に多い。感じるだけでなく阻止するために立ち上がった人たちも多くなっている。私たち夫婦も頑張らねばである。


2015年4月26日日曜日

桜そして日本

(神代植物園の桜 3/31)
満開の桜を見上げるのは何とも言えない気分である。まさに春の息吹を満喫しているといったところだ。

隣接の深大寺には多くの観光客が訪れていた。海外からの花見客も多く、古刹と茶店の組み合わせに古えの日本を偲んでいる様子であった。この時季(約一ケ月間)、桜前線の北上によって日本中が春を楽しむことができる。誰もかれもが、この花の饗宴に酔いしれるのだ。異常気象云々が叫ばれているが、自然はそれなりにありのままに恩恵を与えてくれる。その最たるものがこの桜の日本縦断である。

桜といえば、わが日本の象徴的な花でもあるが、昔からその散りぎわの潔さからか、武士道にも比喩されてきた。先の戦争では、「……咲いた花なら散るのは覚悟……」などと、国家に殉ずる役割にさえ利用されて、死を美化させるお膳立てとされてきたのだ。

この美しい桜が、ここにきて再びきな臭いにまみれようとしている。国際貢献のためとか、積極的平和外交とかの美名に隠された、侵略国家への変貌の危機にさらされているのである。そして、その徽章として利用されようとしているのである。

1強に驕る自民党と政権にしがみつくことを本命とする公明党は、国民を無視して集団的自衛権をなし崩し的に合法化させようと画策し、戦争への道をしゃにむに進もうとしている。恥も外聞見なく経済復興が第一とばかりに、私たちの命の重みを危うくし始めているのだ。

強引に推し進められる怪しげな法制定の数々は、国民の目を本質からそらさせるために字句の修正をもってごまかそうとしている。不謹慎極まりない政治家どもである。世が世であれば、天誅といったところであろうか。

誇るべき桜が、死を美化する道具とされないように、目を大きく光らせねば……。
自然のままに桜の美しさを楽しみ、我が国の誇るべき花として永久にに愛でることができるように頑張らねば……。